廃線から49年 問寒別線(幌延町営軌道)探訪

かつて北海道には、原野を拓いて農地にするために沢山の人達が本州などから移住しました。
その人達の生活の足となるため、また資材や農畜産物運搬のための鉄道が敷かれ、馬車軌道からやがて蒸気やディーゼルなどの気動車に移行していきます。

しかし高度経済成長によって離農が進み、道路の改良が進むと、奥地に敷かれた鉄道は赤字路線となって次々と廃線に追い込まれました。
幌延町にあった問寒別線も、そんな路線の一つです。

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数少なくなった貴重な遺構

廃線から49年経ち、路線周辺の人口も減ってしまった問寒別線跡には、かつてそこに鉄道が敷かれていたことを偲ばせるものが少なくなってしまいました。
これは、問寒別川にかかっていた橋の橋台の跡です。

これより奥には炭鉱跡や、軌道事務所跡、鉄道の終点を示す記念碑があるらしいのですが、草木が鬱蒼と茂ってしまっていて見つける事が出来ませんでした。
終点から起点の問寒別駅に向かってしばらく行くと、やがてヌポロマポロ川にかかっていた橋の橋脚が現れます。

近付いてみると、今でもまだ現役で使えそうなほどしっかりした構造物である事が分かります。
廃線から49年も経っているとは思えませんねぇ。

今も残る問寒別駅は現役の駅舎です♪

路盤跡と思われる盛土を横目に更に進むと、問寒別線の起点であった問寒別駅に到着。

ホームに出て写真を撮っていると、遠くで踏切の警報音が!!
運良くなにかの列車と出会えるようです。
貨物車なのか、ワンマン車両か、それとも・・・

現れたのは、なんと宗谷本線を駆け抜けるスーパー宗谷でした!!
いや~、やっぱ現役の駅だわ~♪

問寒別線在りし日は、ここから路線が分岐して、北へと向かっていたんですねぇ。

現役時代はクローム鉱石や炭鉱からの石炭輸送にも使われていた問寒別線は、炭鉱の閉山や周辺地域の過疎化の影響で1971年に廃線となりました。
それから49年経った今、問寒別の駅舎は改修を経て、宗谷本線の駅として凛々しい姿を見せてくれています。

旧問寒別線(幌延町営軌道)

北海道天塩郡幌延町字問寒別
・JR宗谷本線問寒別駅から16キロ程北の二十線地区まで敷かれた鉄道路線。
・1930年に使用開始告示
・1971年に廃線

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