40年前の時刻表と共に~とある年の北海道旅行について~

私は乗り物が好きだ。乗り物ならば鉄道、飛行機、バス、船、乗用車など何でも、乗るのも見るのも大好きだ。北海道は広大なので、その時の気分でどの交通手段でどこへ行くのかを決めることができる。飛行機に乗りたければ札幌から根室に行ってもいい、バスに乗りたければオロロンラインを走る沿岸バスに乗るのもいい。もちろん行った先でも楽しみはたくさんあり、食べ物はおいしいし、名古屋では見られない美しい景色が広がっている。普段の仕事の疲れを北海道は癒してくれた。そんな理由で私は北海道が大好きで、毎年2回は北海道へ出かけていた。

今回の記事は、とある年の私の北海道旅行についてである。このときの旅行のテーマは「天北線を辿る」であった。

ある日古本屋の前を通りかかると500円セールのワゴンに昔の時刻表を見つけた。それは1976年5月号の交通公社の時刻表で、およそ40年前のものだった。時刻表を眺めるのも好きな私はそれを購入し、帰りの電車の中でパラパラと見ていた。ネットの画像で見たことはあったし、知ってはいたけれど、当時の北海道の路線網の綿密さに改めて感心した。そして帰りの電車の中で「よし、今度は廃線を辿りに北海道へ行こう」と決めた。鉄道ファンとして国鉄全盛期時代に生まれていなかったことを今まで幾度も後悔してきた人生だったけれど、廃線を辿ることで少しでも当時に思いを馳せて、自分の国鉄への羨望の気持ちを供養したいとも思ったのだった。

廃線になっているところは多くあるため行先候補地は色々あったが、今回は稚内からスタートして天北線を車で辿るようなルートをとることにした。天北線とは、南稚内駅で宗谷本線から分岐し、中頓別町、猿払村などを経て音威子府駅で再び宗谷本線へ接続していた国鉄の路線である。国鉄再建法に基づき、天北線は1989年に廃止された。

稚内で車を借りて西へと走り出す。助手席には時刻表。ハンドルを握りながら70年代ヒットメドレーなどを聴いていると国鉄に乗っているような気分になってくる。この天北線沿いには、かつてこの地に鉄道が走っていたということを感じさせるポイントが多くあり、どれも素晴らしいので紹介しよう。

まずは稚内から道道1077号(この道がかつての天北線のルートに近い道路なので、鉄道ファンであればオーシャンビューを捨てるのは少し惜しい気もするが国道238号ではなく、せっかくなので道道を利用してほしい)を1時間ほど走ると着く鬼志別バスターミナル。

なんだバス停かと思うなかれ、こちらは天北線旧鬼志別駅の跡地なのだ。それに加え、無料で見られる天北線の資料室もあり、それがなかなかに充実していて見ごたえは十分だ。天北線沿いにはこのような場所が多くあり鉄道ファンにはたまらない。

猿払村には天北線の6つの駅があったため、その駅で用いられていた看板や切符などが展示されている。どれもいい感じに経年変化しており、ファンならいつまでも見ていられそうだ。

鬼志別を出て30分ほど走ると、浅茅野駅跡がある。こちらはホームにレプリカの駅名標があるのみだが、緑に覆われつつあるホームがまた哀愁を感じさせる。

浅茅野を出ると大きめの町、浜頓別に到着する。こちらもバスターミナルに併設される形で鬼志別と同じく無料の天北線の展示があり、見ごたえがある。私の場合はここで1泊した。

浜頓別からはオホーツク海に別れを告げ、内陸部へ方向転換する。天北線は車で巡りやすく、ちょうど運転の休憩にちょうど良いタイミングで駅跡などがあり本当にありがたい。

浜頓別を出てしばらく走ると、中頓別町に至る。こちらも駅跡にバスターミナルが建っており、天北線メモリアルパークと名付けられている。無料の展示に加え、キハ22型の車両の展示もされている。こちらも見ごたえ抜群だ。

中頓別町を出ると、道の駅ピンネシリに到着する。ここは道の駅という休憩スポットであると同時に、実はこの道の駅、天北線旧敏音知駅跡のすぐそばに建てられたもの。なんだかその事実だけでワクワクしてしまうのは鉄道ファンだからだろうか?道の駅入り口の看板が旧駅名をイメージした「敏音知駅」と書かれた看板なのも鉄道ファン的にアツい。中に入ると在りし日の天北線の写真の展示なども多少あり、こちらも駅跡と合わせて必見である。

駅跡などではないが、見てほしい場所がある。道の駅ピンネシリから15分程度の場所に非常に古い建物がある。中頓別町の小頓別地区にある旧丹波屋旅館である。なぜ旅館なのかと言うと、この旅館は実は天北線旧小頓別駅の駅前旅館として開業し、路線が廃止されるまで営業していたという、天北線とは切っても切れない関係の場所なのだ。

経年劣化はしているものの、その堂々としたたたずまいはかつての賑わいを思い起こさせる。当時はこの周りに多くの建物が立ち並び、人々が行き交っていたという。その光景を想像せずにはいられない。

旧丹波屋旅館を出れば、天北線を辿る旅も終わりが見えてくる。15分ほど走れば宗谷本線に合流する音威子府駅に到着する。音威子府駅は大きな駅で、周りにも道の駅などがあり賑わいがある。音威子府駅で見逃せないのが鉄道展示と駅舎である。

鉄道展示は模型や写真など充実の内容で、鉄道ファンであればこれを目的に北海道に来てもいいレベルだ。そもそも音威子府駅は駅の雰囲気が最高だ。木がふんだんに用いられている待合室も、広いホームも素晴らしい。

実は音威子府駅はそばも名物の一つだったが、店主の方がお亡くなりになられ今年閉店してしまった。「日本一おいしい」との異名を持つ駅そばが音威子府駅の名物でもあった。鉄道の15分ほどの停車時間に急いで食べに来る人もいるほどの人気ぶりだったので、もう食べることができないのは非常に残念である。

このそば店の開業は戦前に遡るので、40年前の乗客も同じものを食べていたのかなと思いながらそばを食べた。天北線の興隆も衰退も全部見てきたそばは、その温かさで運転で疲れた体と、5月だというのに寒い北海道に凍えていた私を癒してくれた。駅そば店は閉店してしまったが、駅近くの道の駅に行けばそちらで音威子府駅そば自体は食べられるので、訪れた際はそちらでぜひ味わってほしい。

40年前の時刻表とともに辿った天北線の旅は音威子府駅で終了した。休憩の旅に時刻表を開き思いを馳せ、かつての天北線の繁栄を想像した。無料の展示室や、保存状態の良い駅跡も多く、その想像に大いにリアリティを持たせてくれた。国鉄時代に生まれたかったという90年代生まれの私の気持ちを少しは掬うことができた、大満足の旅行となった。

乗り物好きで旅行好きの会社員です。
2歳児の育児中なので、子連れ旅行にも興味があり自由に旅行できる日を待ち望んで日々情報収集しています。
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