北海道だけの作物?甜菜(てんさい・ビート)ってなに?

みなさんは「甜菜」という作物をご存じですか?
たとえば、砂糖の原料は?と聞かれたら真っ先に「さとうきび」を答える方が多いと思いますが、実は国内原料で作られている砂糖の約75%は北海道でつくられている「甜菜」という作物からできているのです!
道民でも実はよく知らない?!甜菜について紹介したいと思います。

目次

甜菜ってなに?

甜菜とはヒユ科のほうれん草と同じ科目の植物で英語では「ビート」です。見た目が似ていることから別名「砂糖大根」とも呼ばれていますが大根と同じアブラナ科ではありません。
葉はほうれん草に似ていますが、ショ糖が貯蔵され肥大化した大根のような根の部分を原料に砂糖が作られます。寒さに強く寒冷地作物として日本では北海道を中心に作られています。

甜菜の歴史~ドイツ生まれ、育ての親はナポレオン?

甜菜は紀元前6世紀ごろから葉の部分を食べる野菜として栽培されていたそうです。その後、根の部分を肥大化させた飼料用ビートが15世紀ごろから栽培されるようになりました。1745年にドイツの化学者が飼料用ビートから砂糖を分離することに成功し、1802年に製糖工場が建設されました。

フランス帝国皇帝に即位したナポレオン1世がヨーロッパ大陸の経済を支配しようとして「大陸封鎖」という経済封鎖命令を発令したことにより、1806年から1813年までの間ヨーロッパへ砂糖の供給がされなくなりました。そのためヨーロッパ各地で砂糖を自給するため甜菜糖業が広まりその基礎が確立されました。

北海道と甜菜の歴史

1870年に当時の民部省勧農局長だった松方正義により甜菜の種子が輸入されました。札幌農学校クラーク博士が甜菜の栽培には北海道が適していると推奨したことから、1877年より北海道で栽培が始まりました。1879年、現在の北海道伊達市に最初の官営甜菜製糖所が建設され日本の甜菜事業が始まります。

1888年には現在の札幌市にも建設され道内で2工場が運営していましたが、1901年までに台湾製糖の影響により両社とも廃止されてしまいます。道内での製糖は一時中断してしまいますが、1919年に松方正義の息子正熊によって帯広市に製糖所が建設され再び日本での製糖事業が復活しました。

これが後の「日本甜菜製糖」となり、現在では北海道糖業とホクレン農業協同組合連合会の3社で甜菜製糖産業を占めています。3社で道内に8工場あり、甜菜の栽培は十勝平野や網走管内を中心に2020年で5万6,800haの作付面積となっています。

おわりに

いかがでしょうか?甜菜を初めて聞いた方も多いと思いますが、日本で製糖が始まるまでの紆余曲折、多くの人の尽力があって現在私達が日常的に砂糖を使えるようになったことに感謝の気持ちが湧いてきました。

甜菜とさとうきび、原料や精製の仕方に違いはありますが精製された上白糖は味や成分にほとんど違いはないと言われています。また、さとうきびからはミネラル豊富な黒糖が作られますが、甜菜からは含蜜糖の「てんさい糖」という製品がつくられています。てんさい糖は天然のラフィノースというオリゴ糖が含まれておりGI値が上白糖と比べて低く血糖値の上昇が緩やかになります。

北海道で有名な料理研究家の方がテレビで使っているのを見て興味を持ち、初めて使ってみました!茶色くて粒が溶けにくいため使う料理は限られる部分はありますが、味は優しい甘さで体によさそうな感じがします。もし興味のある方は北海道で有名?!な「てんさい糖」も試してみてください!

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