旅の宿に彩られながら~北海道てくてくトボトボ歩き旅

目次

旅のはじめに

てくてくトボトボ・・・旧街道を歩き継ぎながら竜飛崎までやって来た。

津軽海峡のはるか先にぼんやり北海道の島影を望み見た瞬間、
「津軽海峡を越えて、北海道を歩こう!」
そんなふうにして私の北海道縦断の旅が始まった。2014年秋のことだ。

北海道では、旧道にこだわらず、羆に出会わない安全な道を歩こう。
奥州街道で月の輪熊が15m後方に突如現れ、10分ほど一緒に歩いた恐怖から、羆とのとんだ出会いだけは避けたい。

内田百閒先生は、『特別阿呆列車』の冒頭で、
「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行ってこようと思う。」
と書かれている。

私も然り。
「何の用事もないけれど、ちょっと歩いて宗谷岬に行ってこようと思う。」
そんな心持ちを気取って、北の大地を歩き出したのである。

1、旅の流儀

〝歩き旅〟の時は必ず船で北海道に入り、在来線を乗り継いで、基点の街まで行く、というのを第1のルールとした。

その折り、青森駅前にある〝ウィークリー翔チトセ〟というホテルに宿泊した。UB付き1泊¥1,900−は驚きの安さだ。チェックインして、早速ランドリーを使った。
コンビニに出かけ、戻ってきたら、洗濯機から私の洗濯物が取り出されて、備え付けの篭に入れられていた。
乾燥機を30分回し、今度は手早く時間を見計らって取り出しに行った。部屋に戻って仕分けしていると、下ろしたばかりの靴下が二足、片方ずつないのに気付いた。

「!?」

忘れ物コーナーに行ってみたが見当たらず、さっきまで使っていた乾燥機の中を覗いてみたが、そこにもない。

「あぁ~・・・」

と思ったが、私の洗濯物を取り出した人がきちんと取り出し切らないうちに、自分の洗濯を始めてしまったのかもしれない。仕方がない。気分を直して、ひとっ風呂浴び、晩酌しながら地図を眺め、明日からの歩き旅のことに思いをはせていたら、ウトウトそのままベッドで眠ってしまった。

翌朝、出発前に、
「まさかなぁ??」
と思いながら、でもちょっと期待もしてランドリーに行ってみた。

「!!」

一足、忘れ物コーナーの篭の中に、私の靴下が戻って来ていたのである。
「これは幸先が良い!」

とっても素敵な気分になって函館に向けて出発したのであった。

2、旅の宿

仕事で泊るホテルは一切使わない、というのもルールに入れた。

あと、野宿とテント泊も控える。

最初の宿は〝サザン〟という名だった。五稜郭に近い住宅街にある。朝食付き¥2,200−は格安だ。民家を改造しているから友達の家に来たみたいな雰囲気で、宿主が桑田佳祐さんによく似ている。

「だからですか!?」

と訊ねたら、満更でもない笑みを浮かべ、

「ファンだし、よく言われるし、サザンみたくヒット飛ばして息長くやれたらいいなぁと思ってさ」

翌朝、朝食を食べながら宿主と話したら、本業はリサイクル店を経営しているのだそうだ。昆虫や金魚の販売もしているそうで、なかなかアンテナの感度が鋭そう。そんな人の嗅覚に、格安宿の経営がフィットしたようだ。

「でも最初はなかなか上手く行かなかったんですよ、でもWi-Fiを入れたら、なぜか一気に外人さんの予約が入り出して」

今朝も私の向かいにブラジルの人が座っている。

でも翌年また泊まろうとしたら、一般的なビジネスホテルと変わらないくらいの値段になってしまっていた。宿主が宿名に込めた思いが叶ったわけだ。

私は<とほネットワーク>で見つけた七重浜駅近くの〝函館クロスロード〟という宿に移った。旅好きの宿主の感性に彩られた飾りつけが、マニアックで微笑ましい。ラッキーピエロも近くにある。

2017年からは五稜郭近くに戻って〝フェローハウス〟という宿も使うようになった。1泊¥2,400−で、合宿所か寮のような佇まい。

3、歩き旅は道草してこそ

最初の北海道歩きは、函館駅前から通称〝赤松街道〟という名を持つ国道5号線を桔梗駅まで歩いた。

そして、その後、電車に乗って赤井川駅へと向かった。
知り合いのペンションへ行くのだ。

「絶景かな絶景かな!」

窓に張り付いて、
「ウオォ~ッ!」
などと言ってシャッターを切っているのは私くらいのもの。こういう美景も毎日見ていると、あたり前にそこにあるもの、としか眼に映らなくなるのだろう。

赤井川駅までオーナーのNさんが迎えに来てくれていた。

Nさんは元プロスキーヤーで、80歳の時史上最年長でエベレストに登頂した三浦雄一郎氏がつくった〝ミウラドルフィンズ〟の草創期のメンバーだった方だ。

夕食の時、スキーやキャンプやNさんが若い頃暮らしたカナダのことなんかに話が及び、屈託ない展開が心地良く、私もよく話した。そしてワインに酔い、もうぐっすりと眠った。

〝歩き旅〟に託けて、時に旧友再会的なこんなひと時を、自らに演出してみることも旅ならではだ。

2019年9月の旅では札沼線が翌年5月に廃線になってしまうというので出かけてみた。まだ8ヶ月あるというのに、車内は年配の鉄ちゃん達が・・・。

ダルマ駅舎に心が湧き立つ。

到着した新十津川駅は、大にぎわいの観光地のようだ。

駅前ロータリーには社会科見学に来た小学生が屯していた。

いつか滝川駅から歩いて訪れてみよう。

4、旅の流儀

私の歩き旅は、でかい荷物を背負って、A地点からB地点へ、そして宿泊してC地点へ・・・と直接的に進むのではなく、D地点に何泊かしながら、ABC各地点を順不同に歩き、またEFG各地点を同じく、行き当たりばったりに歩く、というスタイルの奔放な旅だ。基点前後の街々をバスや電車に乗り継いで行くという行程も愉しんでいる。

〝フレスコ〟というホテルを拠点に、森→八雲→長万部と歩いた。

静狩から豊浦までの行程を決めかねていたので、スルーして、豊浦駅前の〝佐藤商店〟というドミトリーに連泊して、崎守駅まで足を伸ばした。

その前年、北海道胆振東部地震に遭遇した時は沼ノ端駅からちょっと海寄りに向かった〝佐竹旅館〟に投宿していた。あれやこれやと大変お世話になった、由緒正しい旅館だ。

函館から順々に進んで行く旅とは別に、仕事で札幌に出かけた際、時間を融通して札幌から岩見沢に向かう〝歩き旅〟もこっそり始めてしまっていた。加えて札幌から苫小牧に向かうルートも実践した。函館からの道とどこかで繋げようという魂胆なのだ。

そんな札幌ではドミトリーに初めて宿泊した。
〝縁家〟という女性オーナーが営む宿と元自衛隊員だった人がやっている〝やすべえ〟だ。狭いベッドも夜行列車の気分!?

こんなふうにして北海道を旅していると、どんどん北の大地に魅せられて行く。もっと遠回りして宗谷岬へ行こう、なんて思い始めてくる。沼ノ端から鵡川まで日高線沿線を歩き、鵡川からは廃線になった線路沿いをてくてくトボトボ、静内を抜けて・・・。

内浦湾の夕陽を見つめていると、ついセンチメンタルな気分に・・・!?

旅のおわりに

最初の〝北海道歩き旅〟の帰り、青函フェリーに乗って、青森へ戻った。

その時、行きに泊まったチトセに再び投宿した。

そしてランドリーに行った。

「もしや!?」

なんて思いながら忘れ物コーナーの篭の中を覗いてみた。

「!!」

私の靴下がまたひとつ、ポツンと入っていた。

北海道から私が帰ってくるのを、こいつはここでずっと待ってくれていたのか・・・と思ったら急にいじらしくなり、うれしくなり・・・。
旅を抱きしめたくなる瞬間だ。

ベッカム隊長
今回もありがとうございました。
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