武豊騎手親類殺人事件の謎に迫る

2003年、北海道にある牧場で、経営者の男性が手にかけられる事件が発生しました。
第1発見者の妻が119番へ通報するも、すでに命はありません。室内に物色された形跡はなく、怨恨で狙われた可能が高い。

男性は競馬騎手として知られる「武豊さん」の親族で、父親で調教師「武邦彦さん」のいとこです。
彼は誰に狙われたのか、犯人はどのような目的を持っていたのか。
今回は、競馬会を騒然とさせた「武豊騎手親類殺人事件」に迫ります。

目次

事件概要

2003年6月9日午後1時30分。
北海道静内郡静内町田原(現在の日高郡新ひだか町静内田原)にある武牧場で、経営者の武勇さん(当時58歳)が遺体で発見されました。

現場は牧場に隣接した自宅の寝室。
勇さんは昼まで寝ていることも多く、様子を見に行った妻が、頭から血を流して倒れている彼を見つけたのです。
硬い棒状の凶器で側頭部が陥没するほど殴られ、脳挫傷と出血性ショックで亡くなっていました。
室内に争った形跡は見当たらず、窓を割って侵入した痕跡もありません。

体には布団がかけられた状態で、被害者と顔見知りの人物による犯行だろうと考えられ、北海道警と静内署による捜査が始まります。しかし、捜査は難航。
名の知れた勇さんに恨みを持つ人間も多く、容疑者をしぼり切れないまま現在へ至ります。

事件発覚までの経緯

前日8日の夜、勇さんはお酒を飲みに出かけました。そして午後10時には帰宅し、寝室へ向かっています。
自宅は、町道から100m入った牧場敷地内の平屋。
彼は妻と2人暮らしですが、同じ牧場内には長男夫婦の家もありました。

その他6人の従業員が存在し、20頭の競走馬を飼育していたのです。ただし、警察の聞き込みでは、不審な人物を目撃した人はいません。
自宅に鍵はかけられておらず、誰でも立ち入れる状態でした。
妻は起きてこない夫を心配し、事件を知ることになったのです。

勇さんの人柄

彼は中規模の競走馬の育成牧場を経営し状態は悪くない。
父の平三さんは元調教師、弟の宏平さんも調教師という競馬関係の家庭です。

地元では「武豊さん」の親族として有名で、良くも悪くも目立つ存在でした。
事件当時は活躍する馬を輩出しておらず、事件前日には近所のパチンコ店で他の客とトラブルへ発展。
これらのことを踏まえ、彼は地元で一目置かれた存在だったにも関わらず問題を起こしており、承認欲求の強い人物だったと考えられます。

そして主に3つの悪評があったのでした。

庭先取引

これはセリなどの市場を経由せず、国産馬や外国産馬を売買すること。つまり生産者と馬主で行われる直接取引です。
市場を通さないことで価格が抑えられる上に、農地法により制限された牝馬を手に入れることができる。
さらに生まれた仔馬は自由に価格設定できませんが、売れ残ることはなく経営危機も回避できます。

父親との土地所有権争い

彼は裁判を起こし、父親と土地の所有権を巡って論争を繰り広げています。
詳しい情報は明らかにされないまでも、悪評が立ったきっかけ。

町から受け取った多額の賠償金

観光客が事故を起こしたことで、町から千数百万円の賠償金を得ました。
事故の内容は判明していませんが、おそらく競走馬に関するものでしょう。

なぜ未解決になっているのか

警察は交友関係を洗っていますが、ネットにあげられる以上の情報は発表されていません。
つまり手がかりとなる材料は、何も浮かんでいない。
あるいはいくつか持っていたけど、世間に公表していないだけ。
確実な証拠がなく、犯人を泳がせているうちに時効を迎えたのではないでしょうか?
考えられる要因は3つ。

現場環境

勇さんの自宅は牧場の敷地内で、夜になると辺りは真っ暗になります。
周囲は見渡す限りの牧草地帯、コンビニや飲食店もありません。町道からは見えるのは厩舎のみ。

ゆるい傾斜の舗装されていない坂道を上がらなければ、平屋の自宅は見えてこない。
だとすれば確実に家を知る人物に限られますが、知名度が高いだけに多くの人間が知っています。

遺体の服装

勇さんはパジャマのままでした。
生きている彼を確認できたのは、6月8日午後10時頃。
犯人はパジャマ姿の彼と対面し、犯行に及んだ。しかし、時間を考えるならパジャマで会えるのは、親しい身内や友人です。

不審者が侵入すれば抵抗した痕跡も残りますが、現場は荒らされていません。
いきなり殴られた可能性も捨て切れませんが、彼は犯人を招き入れ油断していたのではないでしょうか。

凶器

硬い棒状のものと判明していますが、現場には残されていませんでした。
そのため犯人によって、持ち去られたと考えられます。
しかし、本来は公表されるはずのサイズも明らかではありません。

側頭部が陥没するほどの力を与えられる凶器は、鉄パイプや金属バッド、またはゴルフクラブや金属工具。
いずれにしても傷口の形状と照合すれば、ある程度の種類がわかります。
「鑑定技術が追いつかず特定できなかった」とも言えますが、当時の技術から想定するとサイズはすぐわかるし凶器の種類も判断できるはず。
ですが、それらしい情報が確認できないことを前提にすると、発表しない意図を働かせたのではないでしょうか。

これら3つから考えて、犯人は被害者のごく身近に存在するA。
Aは日頃から勇さんに恨みを抱いていた。
お酒を飲んで酔っていたから抵抗できないだろうと考え、側頭部を殴ったと思われます。
しかし、凶器は処分され確固たる証拠がない。

関係者のアリバイも一応は証明された。
親族であれば指紋や足跡があってもそれを持って犯人とは断定できず、逮捕しても起訴できないと考え諦めたのではないでしょうか。
すなわち警察自ら、未解決事件を作ったと結論付けられます。

事件の顛末とその行方

ネット上では、「武豊さん」の親族を語った詐欺師 菊本輝昭(当時72歳)が犯人の有力候補と騒がれましたが、菊本は犯人ではありません。
この男は事件当時、詐欺師として全国を渡り歩いていました。
確かに勇さんの牧場で働いた過去もありますが、その時点では北海道から出ており物理的に不可能です。

犯人と思われるAは別の人物。
もう捜査されることなく、犯人につながる手がかりも発表されませんが、彼を亡き者にしたことで何らかの資産を受け取ったと想定されます。
そのため公式に未解決事件となりますが、警察は犯人の目星をつけていたのではないでしょうか。

※画像はイメージです。

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