日本最悪の獣害事件、三毛別羆事件復元地へ行った話

三毛別羆事件、それは大正4年12月に留萌管内苫前村三毛別六線沢(現在の苫前町三渓)で発生した日本最悪の獣害事件で、三毛別羆事件復元地は、その悲惨な事件と不屈の開拓精神を後世に伝えるため、復元された観光スポットです。

不謹慎ですがB級スポットやサブカル好きの間でも割と有名なスポットで、いつか機会があれば!と思いっていたので念願叶いました。
有名だけど、いざ行くとなると北海道の左端にあり、道内でも遠いし行きづらい、そんな「三毛別羆事件復元地」をレポートします。

※ちなみに・・・「三毛別羆事件」のまとめ部分が、書きたい事が多く長くなってしまったので、ご存知の方や興味のない方は目次をクリックして飛ばしてください。

三毛別羆事件とは

現地のレポートをする前に、三毛別羆事件とは何が起きたのかを簡単に説明します。

当時の苫前町三毛別地区は、新しい開拓地として三毛別川・ルペシュナイ川に沿って、入植者の小屋が点在していました。
近辺の山の中にはヒグマが生息している形跡があったのですが、人家の付近に出現する事は滅多になかったと言われています。

事件より少し間、冬眠に入っていている時期にも関わらず、人家の軒先の作物が熊によって荒らされる被害があり、マタギが発見し発砲するも、傷を負わせただけで取り逃がしてしまうのでした。そもそも人里までおりてきて軒先の作物を取る熊は、人を恐れなく危険な徴候であるらしい。

それに加え、近年「穴持たず」と呼ばれ、冬眠せず狂暴化する熊が増えていたそうな。
「穴持たず」は体が大きすぎて、適当なサイズの穴を見つけらないのが冬眠しない理由のひとつらしく、取り逃がした熊は足跡から見たこともない大きさだったいうことだったとか?

すでにこの時点で、事件が起きるフラグが立ちまくっていたという訳ですね。

最初の被害者

そして、大正4年(1915)12月9日の昼頃。
新しい入植者の太田家が襲撃され、留守番をしていた妻マユとその子供(幹雄) を殺害し、マユの遺体をくわえて連れ去ります。

後に遺体を探すために村人30人をかき集めた捜索隊が結成され、太田家を襲撃したヒグマに遭遇、猟銃で撃退するも発見した遺体は、トドマツの木の根元に埋められて、頭の一部と片脚の膝から下の部分で、「完膚なきまでに喰い尽くされた」と記録に残るほどの凄惨な状態だったそうです。

諸説ありますが、この時にヒグマは人の味を覚えてしまい、武器を持たない人間、とくに女性はリスクが少なく狩れる獲物と認識してしまったようです。

これで終わらなかった

翌日の12月10日夜、太田家で通夜の最中、またもヒグマは乱入します。

ヒグマは頭が良く、餌に対する執着がとても強い動物で、奪われた獲物を取り戻す習慣があるのです。回収した妻の遺体はおそらく横取りされた獲物と思っていたのでしょう。
乱入した熊は棺桶をひっくり返して遺体を食べようとしますが、出席者の1人が手持ちの銃を撃ち、驚いたヒグマはすぐ逃走します。

幸いにも、人々は梁の上や便所に隠れてたので死傷者は出ませんでした。

まだ続く「穴持たず」の襲撃

逃走したヒグマは余程餓えていたのか山に逃げ帰らずに、数百メートル程離れた明景家を襲撃します。
そこには、銃を持たない非武装の男性1人、女性2人と子供が避難していました。

別の家には猟師や他の部落から応援にきた若者がいたと記録がありますので、ヒグマはなんらかの方法で、襲う標的として最適と認識していたと考えるとヒグマのポテンシャルの高さに驚愕です。

「クマは火を怖がる」と言われ、いろりで火を燃やしていたけれど、全く効果はなく、侵入した室内で暴れ放題。
男性と子供たちを次々に叩き殺し、妊娠中だった斉藤タケの「腹破らんでくれ。喉食って殺して」の悲痛の叫びも虚しく、無慈悲に腹を引き裂き、胎児を引き出したあとに彼女を食べてしまった。

ここで疑問なのが、なぜヒグマは胎児ごと斉藤タケを食べなったか、わざわざ引きずり出して彼女を食べる行動にでたかは謎です。

異変を感じ、近くにいた救援隊が明景家を囲むのですが、中からは人の悲鳴やうめき声、ヒグマが暴れている気配がするのですが、誰も家には入れず、ヒグマだけを射撃できる訳はないので発砲もできず、見守るばかりだったそうです。

1時間ぐらいすると、ヒグマが飛び出してきますが、撃ちもらしてしまい、ヒグマは逃げていきます。
家のなかは阿鼻叫喚、血みどろで殺された人々の死体、食われた斉藤タケの残骸、胎児はまだ動いていたのを見たと証言があったそうです。

この事件現場で4人と胎児1人が死亡、3人が重症を負います。

ヒグマ狩りの本部が結成

その後、この事件は北海道庁に伝わり、羽幌警察分署出動の指示によってヒグマ狩り本部が六線沢に近い農家に設けられ、三毛別の若者、アイヌの人々など300人で構成された討伐隊が結成されます。

苦肉の策として、残された遺体を遺体を囮にしてヒグマをおびき寄せる作戦を実行するも、ヒグマを仕留める事はできません。
それどころか無人なのを知ってか、六線沢の農家を次々と荒らし、家畜を襲い、やりたい放題で被害は広がるばかり。

ヒグマを仕留めたのは?

事件発生から8日後の12月14日、ついにヒグマは仕留められます。
それは、大勢ではヒグマに感づかれてしまうと判断し、討伐隊とは別行動をしていた、ベテランマタギ「山本兵吉」。
ヒグマを見つけ至近距離まで接近、旧式ライフルで胸と頭を撃ち抜き、ついに討ち取ります。

ヒグマはどうなったかといえば、皮を剥がれ、肉はたべられて、漢方薬として使われる部分は「山本兵吉」が持ち帰り、有効活用されました。なんだか開拓民のたくましさ、人の業の深さを感じざるをえません。

「穴持たず」のヒグマとは?

仕留めた「穴持たず」のヒグマは、オスで体長2.7メートル、推定体重340kg、頭部が巨大であったという説があります。
ヒグマの平均サイズは、体長2.3メートル、体重250㎏程度なので、このヒグマはかなりデブ・・・巨漢なクマであったと言えます。

胸から背中に大きな白斑があるヒグマは「袈裟懸け」と呼ばれ、普通のヒグマより希少が荒いという言い伝えがあるようです。

ヒグマの呪い?

こうして、7人の死亡者(胎児含み)と3人の重傷者(後に一人死亡)した、史上最悪のヒグマ獣害事件。
三毛別の六線沢の三毛別羆事件は幕をおろすのですが、事件の後に「ヒグマの呪い」とも言える事が起きるのでした。

ヒグマを討ち取り死体を移動させようとすると、今まで晴天だった空が急変し、暗雲が立ち込め激しい吹雪が吹き荒れ、「クマを仕とめた後には強い風が吹き荒れるという」言い伝え通りになったのです。

地元では「熊風」や「羆嵐」と呼ばれる現象なのですが、いくらなんでも話を盛りすぎ?と思って調べると、残っている当時の気象データに暴風雪に関する記録が残っているようで、偶然とは思いきれません。

他にも、煮たヒグマを食った一人、苫前村三線の鍛冶屋の息子が、噛み付くなど暴れだし、日に日に凶暴化していきます。
手がつけられない状態になり、寺に連れていったところ、クマの祟ちであると宣託を下され、祈りを捧げる事によって症状が収まります。

そして呪いであるとは言い切れないのですが、現在に至るまで六線沢に人が戻る事はありません。

これが、ほぼほぼ三毛別羆事件の全容となります。
資料を読みながら纏めているのですが、若干ちがうと思われる部分があればご指摘ください。

三毛別羆事件復元地へ

札幌から向かいましたので国道239号を進んでいき、古丹別にはいるとほぼ中心部の道道437号線と1049号線がぶつかる十字路にたどり着きます。
「ようこそ古丹別」の上に、かわいらしいクマちゃ〜んが描かれた「ベアーロード」矢印の看板があります。

ここを右折、1049号線つまりはベアーロードを南下していきます。
あとは現地まで一直線なので迷う事はありませんね。

ベアーロードのあちこちに、かわいらしいクマちゃ〜ん親子が描かれた看板が立ち並び道案内をしてくれます。
クマの恐怖を打ち消すため?観光客狙いのゆる路線?意図が掴めず。
これで良いのか?正解なのか?古丹別さんとツッコみたいw

ベアーロードに入ってから、三毛別羆事件復元地までは思ったより遠く感じました。
途中、あと5kmの場所に「射止橋」があり、ここはヒグマを仕留めた場所かとおもいきや、最初の被弾地点がこの付近でそれを記念して・・・と、当時の人としてはさぞ喜んだ事だろうとおもうのですが・・・すいません微妙。

引用:ニコ・コモンズ(http://commons.nicovideo.jp/material/nc37195)

・・・ちなみにですが、途中も何枚か写真を撮ったのですが、なぜかデータがなくなっている?
ヒグマの呪いでしょうかw

残り200mの恐怖

現地まで200mまでとなると、とたんに看板のクマちゃんがリアルに!
そして道も舗装からダートとなり、コレ普通車で行けるのか?と市松の不安が横切ります。

実は復元地に行く前に「苫前町郷土資料館」に立ち寄っていて、最近クマが目撃されているという話を聞いているので、クマよけにクラクションを鳴らしつつ進んでいきます。

様々な心配や憶測をよそにちょこっと進むと視界が広がり行き止まり、「三毛別羆事件復元地」に到着します。

目の前には既にネタバレのクマ、そしてその視線の横に・・黒い影が・・・リアルヒグマか?
ちょいビビると、全くリアルでないクマの置物で草。

現地は想像していたよりも、こじんまりというか狭い。
9月の4連休にも関わらず、全く人がいない、コロナだからか?と思いつつ、この土地が山のなかで電波が届かず、携帯圏外で不安をあおる。
クマと遭遇しても助けを呼べない・・・念の為に設置されている熊よけの鐘を鳴らしまくるのでした!

三毛別羆事件復元地を見学しよう

気を取り直し案内図にそって見学しましょう。
ウッキウキの男女ペアのイラストが書かれてますが、ウキウキするスポットではないような気が・・・・。

まずは、案内図の横の「本町の開拓にまつわる史実」の看板。

説明を読むと三毛別羆事件の内容とこの復元地の事がだいたい解るようになってます。
内容が壮絶すぎてぞわっとしますよ。
「腹破らんでくれ」「のど食って殺してくれ」・・・・って凄惨すぎ。

お隣にある慰霊碑で被害者の冥福をいのりながら・・・・

復元小屋へ!!

当時襲われた家の復元小屋を見学します。
ただし実際の事件があったのはこの場所ではなく、ここから100mほど上がった場所らしく、そこには石碑が立っているとか。

そこまで行ってみたい気もするのですが、そこまでの道筋もなく、クマの目撃例もあり・・・ごめん無理。
でもいつかチャレンジしたい気もするけど・・・だけ。

ヒグマの襲撃シーン込の復元小屋なんだけれども・・・も・・・クマデカすぎじゃない?
このサイズだと小屋ごと吹き飛ばしそうだし、当時の猟銃はともかく、現代兵器でも撃退難しいのでは?

ちなみに「苫前町郷土資料館」には、幻の巨熊「北海太郎」の剥製があり、体長2.5m、体重500kgですね。
ヤりすぎ感がある・・・同年代の人、なんとなく赤カブトを思い出しませんか?

小屋の中はとても質素で、寝る場所と囲炉裏、奥には衣装タンス?
壁はワラで囲っただけで断熱効果はほとんど期待できない、開拓者はよくこれで冬を越せたと驚き。現代人は晩で凍死レベル。

壁の防御力も低すぎなので、ヒグマが壁を破って用意に侵入できる訳です。
この中で阿鼻叫喚な殺戮撃が展開されたと思うと恐怖を実感します。

小屋の他の展示物

小屋を出て順路通りに進みます。

案内図には川というか沢にかかる丸木橋を渡ると、ヒグマの引っかき傷、クマの穴、クマの足跡があると書かれているのですが、クマの穴しか確認できませんでした。

それにしても、クマの穴が小さすぎるような気がします。

開拓当時の木も朽ち果ててしまったのか、置かれていた跡があったぐらいですかね?

まとめ

このスポットは多少なりと際にヒグマに合う可能性や、季節によってはハチやアブもいます。電波が届きませんので携帯も使えないので、なにかあった時に助けも呼べないと、普通の観光からすれば、リスキーなスポットです。

ですが、北海道を開拓した先人たちの苦労、大自然の厳しさ、野生動物の恐怖を肌で感じる事ができ、ほんと不謹慎ですがB級スポットとしてノホホン感があって、北海道来たなら一度は行ってみてレベルでお薦めです。

こちらに訪れる前には「苫前町郷土資料館」を先に見学すると、三毛別羆事件の事やクマに関しての知識が得られて、より楽しめるのでお薦めです。

三毛別羆事件復元地へのアクセス

住所:苫前郡苫前町三渓
※季節を問わず、時間も何時でも見学できますが、雪が深い時期や夜間の訪問はお薦めしません。

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