【日本最北の離島】定期観光バスで行く利尻島の旅

おはようございます。ちょうど宗谷本線の始発列車、名寄行き普通列車が出たところ。朝の稚内駅です。

最北の鉄道路線、宗谷本線の終着駅であり、鉄道が来ているのはここまで。

日本最北端の線路が終着駅として示されるこの場所に、鉄道ファン含め旅好きの方が多く訪れます。

雨が降って厚い雲に覆われていますが、これから向かうのはフェリーターミナル。稚内市の西側に並ぶ二つの離島、利尻島と礼文島を巡ります。

5:00からやっているセイコーマートに寄りつつ、太平洋セメントの工場の向こう側、利尻・礼文フェリー乗り場へ来ました。

まず訪れるのは日本の主権が及ぶ最北の有人離島、礼文島の香深港です。
自由席の2等船室については自動券売機での購入も可能。

今回は学割を適用させるため、窓口で購入しました。大人の場合、稚内〜香深は3070円です。

ターミナル内には売店(ハートランドショップ)もあって、お土産を中心に取り揃えていました。どこか空港の売店という印象を感じます。

乗船口や広い待合スペースがある、2階へ上がってきました。

かなり新しい印象でして、多くの観光客を迎えるのに相応しい規模です。

ハートランドフェリーは国際航路もありまして、稚内〜樺太を結んでいました。

事実上ロシアの主権が及んでおり、昨今のコロナ禍やウクライナ情勢に限らず、単純に利用者が少なかったため2019年度から運航をとりやめています。南樺太の日本統治時代、鉄道連絡船「稚泊航路」から続いていた長い歴史。いつか乗ってみたいと思っていましたが、かなり難しそうです。

礼文島行きは2番乗船口から乗り込みます。

50人近く団体のお客さんがやって来られ、北防波堤ドームの紹介をされていました。稚内が樺太への玄関口だった時代、駅から港までの道のりを風雪から守ってくれます。

出港の15分前、6:15に乗船開始です。

今回乗船するのはボレアース宗谷、ギリシャ神話で「北風の神」を意味しています。

乗船口は離島へのフェリーと思えないほど近代的で、伸縮する機構が分かる構造がロボティックです。

今回利用するのは2等室なので、エメラルドグリーンのエリアになります。

寝転ぶこともできるフルフラットのエリアが基本となっており、座席は無さそうでした。

進行方向後ろ側、甲板へ出ることもできます。

こちらも2等のエリアになっており一応座席ですが、ちょっと景色を見つつ座るくらいのイメージです。

上から見ると二枚貝のようなサフィールホテル稚内、その先には北防波堤ドームが続いています。
かつてはあの近くまで線路が伸びており、樺太へ船が出港していた訳です。

6:30 稚内港 発
車を載せるタラップもあげられまして、稚内を出発しました。

最果ての地を海へ脱出するとは、なかなか体験できないものです。

稚内駅やドーミーインや、稚内公園の辺りなど見慣れた街並み。
年に何回も来ている街なので、フェリーに乗って海越しに見た時の新鮮さはかなり強いものでした。

右手には南稚内駅周辺の街が広がっており、ロードサイド店舗を中心に発展する市街地の様子を窺い知ることができます。

左手には見えているのはノシャップ岬。

稚内灯台や稚内市立ノシャップ寒流水族館など観光施設があります。

宗谷岬のような日本最北端という訳ではありませんが、夕日が綺麗で人気の場所です。

30分ほど船内で寝ておりまして、左手を向くと利尻富士!

今日は雲に隠れて真っ白かと思っていましたが、十分その姿を確認できます。

富士山よりも鋭い稜線に、溶け残る残雪が断層のような模様を描いており、火山島ならではの自然を感じられました。

そして右手に移りますと、平べったい礼文島が見えてきます。

利尻島とはまるで対を成しており、なだらかな丘が続いているようです。

到着15分前の8:15、放送が流れます。

ここで流れているのは礼文情歌、ここで歌われている「ごめ」はカモメとウミネコをまとめたもので、足が赤かったらカモメです。

海岸には観光ホテル等カラフルな建物が集まっており、アピールうちわみたいに迎えてくれます。

陸地の存在により波が複雑になるためか、結構揺れるので気をつけましょう。

2度低い汽笛を鳴らしつつ、堤防内側の穏やかな海に包まれます。

船体を回転させて、香深港フェリーターミナルはさっきと反対側へ。

稚内港から2時間経った8:25、礼文島は香深港に到着です。

大きく歓迎されながら、礼文島へ降り立ちます。

花の浮島と呼ばれる礼文島。植物に知識が無く、車を運転できない人にとって最適なのが、定期観光バスです。

1階へ降りてきまして、バス乗車券を購入。今回は礼文Aコースで、料金は3400円となります。

もうここで結論言っちゃいますが、公共交通機関で礼文等の名所を効率よく回れて、ガイドさんの案内も充実しており、非常に満足度が高かったです。

宗谷バスに乗車しまして、観光バスの旅を余すことなくお届けします。

出発時刻は8:40。フェリーが就いてから15分後なので、しっかり接続もとられているようです。

まず見えてきたのは礼文島唯一のコンビニ、セイコーマートです。北海道でお馴染みのコンビニですが、離島にも出店しています。

フェリーが入港すると商品が搬入されていくとのこと。それまでは個人商店しかなく、賞味期限切れを気にすることも多かったそうです。

漁師さんの家を結ぶようにして、道道40号を北上。7月になると利尻昆布を取るため船が出ます。この時期は個人の干場に、ほっけなどが干されているそうです。

カフカイ岬先端、赤い鳥居と屋根が見えてきました。こちらは見内神社、安産祈願の神社です。

アイヌ同士の戦いが絶えなかった頃、利尻礼文の男たちが北海道へ応援へいくことがありました。礼文に住んでいたカルチバがセレナと結婚して程無い頃、妻のセレナと息子を置いて北海道へ行くことになります。しかし中々帰って来なかったため、2人は浜で岩になってしまいました。

その悲話があることから村人は「見ないで通る」ようになりこの名前が付けられたそうです。

本州では標高2000m以上でしか見られない高山植物、礼文島では標高0mから見られます。お隣利尻島でも800mまで登山しないといけません。

礼文島は高い木が育たない森林限界地。代わりに岩にベタっと張り付き横へ広がるハイマツ地帯です。

この先は起登臼(きとうす)と呼ばれる地域、行者にんにくが沢山生えていることから名付けられたアイヌ地名。国立公園の為勝手に採れず、島民は山菜の権利書を買ってとるそうです。

ここで右手の海岸に建立されているのが、金環日食観測記念碑。

1948年に戦後初の金環日食がここで観測されました。5本の石柱は太陽の満ち欠けを表しています。当時アメリカやカナダから学者が訪れ、島民の住宅に泊まっていたそうです。

この石碑は2代目だそうで、それほどまでに大きな出来事だったことが分かります。

こちらは礼文発電所、礼文島の電力を賄う火力発電所です。本道とは送電線が繋がっていないので、完全に独立している形。

香深村と船泊村の南北に分かれていた礼文町、このあたりが境でした。

かつては1万人近くいた島民は、現在2000人にまで減少しています。

左手に見えてきたのは、1979年になって開校した礼文高校です。

それまで中学校卒業後は漁師になるのが普通で、進学する子供も稚内や小樽へ下宿していました。それでは若い世代が流出してしまうため、島内に高校が出来た訳です。

利尻昆布がどのように使われているのか学んだり、ホッケの燻製を作ったりといった、独特な授業も行われているとのこと。

全国から生徒を募集する、最北れぶん留学も行われています。

エリアを越えまして、カニ爪の支点に広がる船泊地区へ向かいます。

ここからは礼文等の最高峰、礼文岳が見えるはずです。標高は490mで、比較的なだらかな地形と分かります。

ここで左手に見えるのが、久種湖です。水深6mの湖では鯉や鮒、ワカサギが釣れるそう。

北側集落に住む方は漁師がほとんど。人によっては大きな家を持っています。

こちらはスポーツ文化交流センター、礼文町役場船泊支所が入居しています。

こちらは礼文島で2つしかない信号、観光バスで信号を紹介されます。
離島でよく聞く話ですが、信号を教えるためのもの。押しボタン式信号機です。

今日はいませんでしたが、この浜は「アザラシの見える場所」です。

また、綺麗に丸く穴の空いた貝を見られるとのこと。これは貝が別の貝に穴を開けて、中の身を食べるそう。

左手には氷河時代に形成された丘陵地が広がっています。かつては牧場を経営していたのですが、現在はやめてしまいました。

目次

澄海(スカイ)岬

正面に海が見えてきまして、最初の目的地「スカイ岬」に到着です。

出発は9:40、30分ほどガイドさんに案内されながら観光できます。

まず最初に見えましたのが、先ほども紹介されました、魚の干し場です。

ホッケが干されているのですが、手前の白い方はヌカホッケ。塩で味付けした上で干しているとのことで、かなりクセが強く、島外の人には合わないかもと。

そして早速高山植物が見え始めました。こちらはミヤマオダマキ、高山性の中では育てやすいようです。

エゾイヌナズナは「ナズナ」と似ている一方で食べられないことから、「イヌ(否)」がつけられたそう。

白っぽい表面が「朝霧」のような、アサギリソウ。冬の霜が降りた植物みたいです。

ネムロシオガマは円錐状をした底面に小さな花が咲いた様子、非常に可愛らしい見た目をしています。

高山植物を観察しつつ、遊歩道に導かれてスカイ岬まで来ました。

ゴツゴツした岩の塊はクルンと入り込んでおり、その中へ入った海水の波が静かに侵食していきます。

これによって岩の塊がだんだんと崩れている様子で、そこに背の低い草が生い茂っているようです。

解説板に写真が掲載されている通り、7月になると高山植物が咲き誇るそうです。お花畑という感じではありませんが、異国の自然という印象が感じられます。

レブンアツモリソウ群生地

少し戻りまして、木道が整備されたレブンアツモリソウ群生地へ来ました。

5〜6月に開花する花で、3日前から観光客が訪れられるようになったばかりです。

予備知識全くのゼロで来たのですが、ホオズキみたいにふっくらした可愛らしい見た目。淡いクリーム色の花で水滴が付いているのもまた素敵です。

礼文島の完全なる固有種であり、この時期に来られる方は絶対に訪れる場所とのこと。これだけのために礼文島に来られる方も少なくないそうです。

今年は割と小ぶりだそうで、紫色のハクサンチドリと同じくらい。

高山植物は熱に弱いため、触ってはいけない植物です。

一時期盗掘によって絶滅しそうになりましたが、なんとかここまで数を復活させたとのことです。現在では24時間体制のカメラで監視されています。

駐車場の方にもかなりまとまって咲いており、礼文島にしか存在し得ない姿をいつまでも保ってほしいです。

スコトン岬

ここから一気に北上し、礼文島最北端の地であるストコン岬へ向かいます。

特に西側は風が強いため、高い木が育たない植生。北海道にいるとこういった景色がずっと続いていることも多く、北国の原風景という印象をもたらします。

正面に海が見えてきたところでバスを降りました。ストコン岬へ岩場を歩いていく手前の広場です。

広場には謎の標が築かれていました。

こちらはニシン漁時代、住所を示すために設けたものを残しているそうです。

ここから結構急な階段をおりまして、先端まで行ってみます。

宗谷岬のような綺麗に整備されたものではありませんが、むしろこの方が最果て感を感じられるものです。

ストコンとはアイヌ語で「大きな谷にある入江」が由来、海に侵食されていく岩場が形成されており、地形のままですね。

本当の先端までやってきました。向こうには無人島のトド島が見えています。

礼文島ではトドを食べる習慣があり、トドウチ漁師さんがドキュメンタリー番組『情熱大陸』で取り上げられたこともあります。

居酒屋で提供される「トドのテッピ」も人気で、味は鯨に似ていると言われます。

日本最北「限」というのは、日本最北端が宗谷岬であるとはっきりしたのち、なんとか最北っぽい名前を維持しようとつけられたものです。

バスが停まっているところには『島の人』というお店もあって、お土産や利尻昆布ソフトクリームなどいただけます。夏場には本州からお手伝いに来られる方もいるほどだそう。

ストコン岬を出発しまして、カニの爪の左側から右側を見ています。

香深港が南側にあったのに対して、北側には礼文空港があります。

かつて稚内〜礼文に定期便が運航されていましたが、2003年をもって休止。現在はドクターヘリの発着場となっており、札幌や旭川へ患者さんを送るそうです。

礼文島にはフラワーウォッチングに「江戸屋山道」というのがあります。

これは加賀国から来た銭屋五兵衛がキンツバ焼きをはじめ、屋号を江戸屋にしたことからと言われます。

現在礼文島唯一のお菓子屋さんは「うのず製菓」、フェリーターミナルのすぐ近くにあるそうです。黒糖こしあんの礼文まんじゅうが名物だそう。

先ほども通った久種湖ですが、ここにもアイヌの伝説が伝えられています。

イコッポとヌプリ2人の男は仲が良かったのですが、女性のエリアを巡って仲違いしてしまいます。2人は決闘することになり、ヌプリはイコッポを殺してしまいました。事の重大さに気づいたイポッポも自害し、心を痛めたエリアも自害してしまいます。これによって生まれたのが久種湖とされる訳です。

左手には陸上自衛隊礼文島分屯地が見えました。

最果ての島ということで守る必要がある島、自衛隊の拠点がここに置かれます。

さらに、高山植物培養センターへ続く道も分かれます。種を採取してレブンアツモリソウの培養研究も行われ、現在の数まで復活させました。

貝殻で文字を書いてあるようですが、こちらはウニむき体験センター。

ミョウバンに漬けていないので、ウニ本来の旨味を味わえます。ウニは利尻昆布を食べているため、美味しくなるそうです。

島内もう一つの信号近く、ソメイヨシノが少しだけ咲いていました。

本来は札幌が北限とされるのですが、ここへ植えて実際に花を咲かせることができています。

今度はフェリーターミナルより西側へ行くのですが、最初に見られるのがこちら礼文厳島神社。

有名な広島・宮島の厳島神社の分祀で、海の神様を祀っているとのことです。離島にとって海は切っても切り離せない関係ですものね。

そして桃岩展望台のトレッキングコースが分かれていきました。

今目指しているのは桃台で、このコースが向かう大きな岩を下から仰ぎ見ることになります。

バスは全長1489mに及ぶ新桃岩トンネルに入りました。

こちらは2015年に開通したばかりとかなり新しいもの、それだけ島の西側は秘境ということです。

かなり怖いですが歩いている人もいるというトンネルを抜け、西の海へやってきました。

こちら見えてきたのは桃岩、丘陵に突如現れる幅高さそれぞれ300mに及ぶ巨岩です。

中央部の平たいところは桃の種とも言われます。

桃台猫台展望台

桃岩含め様々な奇岩を楽しめるのが、こちら桃台猫台展望台です。

求めていた北海道の景色はここにあったのだと突きつけられ、あまりに素晴らしすぎる光景が広がっていました。バス車内から見られた桃岩も、広角で見れば丘にポツンと佇みます。

桃岩はマグマにより地表が押し上げられた、潜在円頂丘とされています。このドーム状に膨れ上がった桃に似た形は、目に見えない地下からの自然が生み出した産物です。

反対に海岸沿いに目をやると、赤い屋根の建物が佇んでいます。

こちらは桃岩荘ユースホステル、歌ったり踊ったりというちょっとした奇妙さと、港でのお見送りが盛大なことで非常に有名になりました。

そこから海の方へ目を向けると、背を丸めた猫岩がいます。

ちょっと睨んでいるみたいですが、表情まで分かるほどです。

今度は反対側の海岸を向きます。小さな漁港を中心に、崖が迫る集落が集まっていました。

その中にあるのがアイロンみたいな三角形をした地蔵岩。

ここからだと山にへばりついているように見えますが海に浮かんでおり、その姿が地蔵みたいとのことです。

バスに乗りまして最北のソメイヨシノがぽつぽつと咲いていた、礼文小中学校へ続く階段の地点まで戻ってきました。

定期観光バスはこれから北のカナリアパークへ向かいますが、一度香深フェリーターミナルに寄ります。

ターミナルでゆっくりお昼ご飯を食べたい方はここで降りることも選べるのです。

半分くらいの方が降りられまして、島の南端部へ。丘の方へと登って行きます。

低木の丘を登っていきますと、その中で静かに佇む木造の建物が見えてきました。知識ゼロでもあれが映画セットであろうことは容易に想像がつきます。

北のカナリアパーク

正面海の向こうに見えているのは利尻島。今日は曇ってしまっていますが、晴れていればもっと雄大で鋭い稜線を描く島が綺麗に見られるようです。

「北のカナリアたち」の監督がここをロケ地に選んだのは、利尻島の姿に魅せられてとのこと。映画のため丘にセットを建て、ここまで来た道まで作られたそうです。

ここの花壇にも高山植物が咲いていました。こちらはウルップソウ、択捉島の向こうにある得撫島から来ています。

さらに、あのレブンアツモリソウまで咲いていました。

ステンドグラスに錆びついた校章、凹凸のあるガラス戸を引いて中へ入ってみます。

校舎内には実際に使われたセットや衣装などが展示されています。

実際の作品を見ていないクセに映画の世界に入り込んだような感覚に陥ります。この時代を生きていないのにどこか懐かしさを感じる、そんな空間でした。

ここで映画作品が生まれたからこそ、フィルムツーリズムという一つの観光が新たに作り上げられています。

敷地内にはカナリアカフェもあって、ソフトクリームが人気です。

テラス席からは利尻富士と木造の小さな校舎を合わせた、イメージ通りのカットを切り取りつつ、穏やかな時を過ごせます。

元々ここは地元の方々がお墓参りに来るところでした。
先人が利尻山を見られるようにと願って建立され、現在では今を生きる人々にもその美しさが広く知れ渡ったようです。

香深フェリーターミナルへ戻ってきまして、これにて定期観光バスの旅は終了。

礼文島の観光地を効率的に巡れて、程よい自由度があるのも非常に魅力的でした。礼文島へ来られる際は、是非こちらを利用してみてください。

さて、これから向かうのは最北の地に浮かぶもう一つの離島、利尻島。
1日1往復運行されている、礼文島から稚内への利尻島経由便です。

旅行会社のツアー客が非常に多く、もうすでに大行列でした。流石に乗れないことは無いですが、かなりの乗船率です。

次回は利尻島での観光バスツアーもお届けしますので、お楽しみに。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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