「何が?」室蘭の隠れ観光スポット「日本一の坂」

「日本一の坂」が北海道室蘭市にある。日本遺産「炭鉄港」の舞台となった旧室蘭駅舎(海岸町)近くに伸びる坂。
50段ほどの石段、急でなければ緩やかでもない、どの部分を切り取っても「日本一」とは程遠い。市の広報などで名前負けが話題となり、観光客のブログでは、「ネタ」にされてきたが、かつては駅舎からまちの大きな通りを結ぶ大切な坂であった。

マイナーさゆえ、市民の関心は少ない。整備はいつも後回しになっている。
正しい歴史を発信していくことが、価値を高める鍵だ。

地元民「由来知らない」

旧室蘭駅舎から室蘭八幡宮方向へまっすぐ進むと、「日本一の坂」が見えてくる。
ひょろりとした看板。その他に場所を示す物はない。歩みを進めると、やや傾いている空き家が見えてきた。
なぜか周囲にトラロ-プが張られている、割れた窓ガラスが何とも不気味だ。

石段が見えてきた・・・日本一なのだ、きっと果てしなく続いているはずだが、そんなことはなかった。
上を見上げると、余裕でゴ-ルが見える。
石段の周りには、民家が数軒建っている。他の地域と変わらず、家主らは畑も作っている。花は9月下旬でも咲き、殺風景な坂に彩りを添えていた。

60〜70代と思われる男性が、花を写そうとカメラを構えていた。
「すみません、日本一の坂の由来を知りたいのですが」
意を決して訪ねてみる。

背中越しの声かけに男性は少し驚いていたが、「ごめん。俺も知らないんだわ」と苦笑い。
地元民すら名の由来を知らない坂、どこが日本一なのか?

男性にお礼を言い、石段を駆け登る。頂上についたが何もない、見えるのはありきたりの道だけだ。
これは「ネタ」にされても仕方ない。

実は曰く付き

とにかく「日本一」なのだ、名の由来があるはず。坂の上を散策すると、その答えが書いた看板があった。
独自調査も加えて紹介したい。

「日本一の坂」の由来

この坂の上り口(1の看板があった近く)に、そば屋「福井庵日本一」があった。明治30年代、小樽で殺人を犯し、室蘭に逃げてきた大沢運次郎(本名・三木竹松)が開いたらしい。運次郎は犯行を隠していたが、ある日妻が夫婦喧嘩中に「人殺し」を口走ってしまった。刑事(別件を捜査)が店に足を運んでいたこともあり、逮捕を恐れた運次郎は自殺したという。

「日本一」とは、この店名に由来するものだったのだ。運次郎の逸話は、真偽が定かでない。店も現存していない。ただ、「福井庵日本一」と書かれた領収書は残されているという。坂の名は実在した店に由来する可能性は高いだろう。

ひっそりと発展貢献

地元商店街の史料によると、「日本一の坂」は1900年(明治33年)、北炭が近隣の埋め立て工事の際に作ったという。
上はかつて室蘭の発展を支えた、店が立ち並んだ「札幌通り」。旧駅舎と通りをつなぐ近道として、住民らの需要があった。

市によると、芥川賞作家八木義徳氏の「帰郷」にも登場するという。同作冒頭には、17年ぶりに故郷の駅舎(現在の旧室蘭駅舎)に降り立った本人が、室蘭八幡宮に参詣するために坂を抜け、泉町(札幌通り周辺、現在の海岸町)に進む描写がある。

地元民の観点から、おそらくこの坂こそが「日本一の坂」なのではないかと思う。現在は人口減少が進み、繁栄を極めた通りの姿はない。
一方、緩やかな傾斜であるため、近道として利用する市民は多い。ひっそりとまちの交通を支えている。

室蘭のマイナースポットとして

先述の通り、「日本一の坂」は室蘭のマイナースポットだ。市民の関心も低く、脇道は草が生い茂っている。
入り口にある空き家は、正直倒壊しそうだ。

由来もあくまで逸話であるため、信憑性が低い。一方、室蘭の発展を縁の下から、支えた場所であることは確かである。
炭鉄港が日本遺産になり、旧駅舎に近い同坂は、観光資源として活用できる可能性が十分にある。市に正しい歴史の発信と、整備を検討してほしい。

札幌通りまでを散策するツアーなども面白いであろう。
多くの人が価値を再発見し、坂をネタ脱却「日本一」に近づけてほしいものだ。

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