オホーツク紋別出身の父の物語

オホーツク紋別出身の父の話はいつも故郷への想いに溢れていた。
「ほら、来てごらん。この木の実は食べられるんだぞ。」

父が目の前の木の実をひとつつまんで口に入れた。目を瞑って、思い出の中の味と比べるような味わい方だ。
「ねえ、どれ?どれ?…ああ、甘酸っぱくて美味しい!!」

私と弟が我先にと父を真似て口に入れる。
「パパ、すごい!普通の自然公園にも食べられる木の実があるんだね。」
「そうだよ。この木は桑だ。葉っぱは学校で蚕にあげるだろ?桑の実は人間も食べられる。きれいな赤い実より赤黒い実のほうが熟れているから、こっちの実のほうがもっと美味しいぞ。」
熟れて潰れかけた赤黒い桑の実を採りながら、父と私と弟は遊歩道をゆっくり歩いた。

「木鼠(きねずみ)は木の実が主食だから身体に味が混ざってなくて美味い。イタチとかカラスは雑食だから、色んな味が混ざっていて油臭くて不味い。」
「木鼠って?」
「ああ、リスのことだよ。木にいるネズミだから木鼠だ。」
「えーっ、リスを食べたことあるの?」
「お腹が空いたらパチンコで狙って獲る。」
「えー、残酷…」

私と弟は驚きの声をあげる。

「そうだよ。でも食べる物が無い時は仕方がない。獲るって言っても自分たちが食べる分だけだからね。必要なら自分たちの力で動物だって獲るし、魚だって捕る。木の実だって採る。人間も同じ生き物なんだから、他の生き物と同じようにして暮らしていたんだ。俺たちだって油断をすればヒグマに襲われる。」
「そうか。みんな生きるためなんだね。」

子どもながらそんな風に理解する。

父の話は動物にも植物にも命に対する畏敬の念に溢れていた。父の父親は軍馬を軍に卸す仕事をしていたのだそうだ。だから父は馬頭観音にはいつも丁寧に手を合わせる。生きるためとはいえ、気持ちの上では辛い生業(なりわい)だったのだろうと思う。

北海道のドキュメンタリー番組を観ている時の父は嬉しそうに目を細め、いつも心は故郷に帰っている。三男坊だった父は若い頃横浜に移り住んだ。私は父に連れられて三度紋別の父の姉(きょう)兄弟(だい)を訪ねた。一度目は横浜から青森まで電車で行き、青函連絡船で津軽海峡を渡り、また電車に乗り換えた。二度目は札幌まで飛行機で行き、紋別まで電車に乗った。
三度目は飛行機で札幌まで行き電車に乗り換えたが、旭川から紋別までの電車が廃線になっていたので、旭川からはバスで移動した。紋別には父と同じ面影の兄弟と姉がふたり、父と同じように温かく包み込むような人達だった。どの家に滞在しても幼い頃の話は尽きず、笑い声が夜通し続いた。

「北海道の春は圧巻だぞ。ふきのとうが頭を出し、カタクリの花が咲き、雪で真っ白だった野山は、絵の具をひっくり返したみたいにいっぺんに色とりどりになる。牧場も一面緑に染まって、牛も馬も生き生きと動き出す。畑に種を撒いて大きくなった野菜を収穫する。次の冬までに時間が無いから、どんどん働く。別の土地では薄荷(はっか)を育てる。刈り取って吊るして乾かして、秋にはハッカ油を作る。俺の家ではハッカの搾油作業は俺たち子どもの仕事で、夜通し寝ずの番をする。兄弟喧嘩をしながら、毎年みんなで力を合わせて寝ないで頑張る。薄荷は開拓したばかりの土地でも作付け出来て、お金になるいい仕事だったんだ。」

…こんな風にいつも父は、寝るときに枕元で色んな話をしてくれた。父の子どもの頃の話は、どんな物語にも負けないぐらいおもしろくて、私の一番お気に入りのベッドタイムストーリーだった。

そうだ。世の中が落ち着いたらまた父の故郷紋別を訪れよう。冬のオホーツク海でガリンコ号に乗るのもいいし、春の滝上公園でピンク色に染まった芝桜の山を見るのもいい。今度は羽田空港からオホーツク紋別空港まで飛行機の旅である。今度も紋別までのルートが変わった。またそれも楽しみである。

高鳥珠代
横浜生まれ横浜在住。30歳から5年間アメリカ、シンシナティで暮らす。父親が紋別の出身であるため北海道とは縁が深い。第二の故郷である北海道がいつも身近に感じられる題材で執筆する物書きを目指しています。
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