野付半島

幻のまち「キラク」野付半島の歴史と幻想的な風景を旅する

野付半島は根室半島と知床半島のちょうど真ん中辺り、地図で見ると今にも消えてしまいそうな釣り針型の砂嘴(さし)。
全長26kmの日本最大の砂嘴で細いところは幅数メートルしかない。
江戸時代、この野付半島の先端部に港町として栄えた「キラク」があったという。

野付半島の石碑

キラクとは?

1964年に北海道大学探検部が行った調査の報告によると、野付半島には「地元の人々にキラク町と呼ばれている場所ある」という報告があり、「キラクの由来は気が楽になるところという意味」との記載がある。
名前の由来については、ロシアの交易もありロシア語が語源という説もある。キラクとはロシア南部のウィルタ民族の言葉で「神」を意味するのだが、もともと呼ばれていた地名に和人が「気楽」などの漢字を当てはめたのかもしれないというが真偽は不明だ。

野付半島は知床半島の土砂が削られて蓄積してできた砂嘴、その流れ着いたプランクトンにより鮭・ホタテ・エビなどの豊かな漁場で、先端アラハマワンド南側の外海は鰊漁場。
豊富な漁業資源に恵まれるこの地に1799年(寛政11年)幕府が国後島に渡る中継点として「野付通行番屋」を設け渡海用の船が用意された。

幕末の頃1854年(安政元年)~この通行屋の支配人をしていた加賀伝蔵はアイヌ語通辞(つうじ・通訳者)として活躍し「加賀家文書」を書き残した。その記録の中に箱館奉行の蝦夷地巡回一行、蝦夷地を探検していた松浦武四郎の世話等の業務をこなしながら、アイヌの人々と畑を拓いたと記録がある。江戸時代末期には漁番屋や蔵など50~60軒ほどの建物が建ち並び、春には根室方面から人々が集まり鰊漁に勤しんだ。

2003~05年には、別海町教育委員会により発掘調査が行われ、畑の畝跡や鰊漁の漁番屋、生活用品などの遺物をもって「野付通行番屋・番屋跡遺跡」として残されている。

このように人々の営みがあったことは歴史的事実だが、文献史料には「キラク」の文字はない。
港町として栄えた「キラク」には武家屋敷が立ち並び道は敷石で整備され遊郭もあったという話が、地元の古老によって口伝で語り継がれてきたのみであり、これが幻のまちたる所以であろう。

野付半島

野付半島の自然の魅力

その歴史的ロマンもさることながら、2005年に野付半島・野付湾はラムサール条約に登録され、ここでしか見られない海岸景観がある。

トドワラ・ナナワラがその代表的なスポット。トドマツやミズワラの枯れた木々が「この世の果て」と思わせる幻想的な風景。
初夏から秋にかけて半島一帯はエゾカンゾウやハマナス・クロユリなどの花々が咲く原生花園が広がり、湖沼水面・海域水面・干潟・湿原・森林など多様な自然環境が存在する。

タンチョウをはじめ多くの鳥類が生息し天然記念物のオジロワシやオオワシも姿を見せる。秋から春にかけてはオオハクチョウやカモ類などの渡来地となっている。

オジロワシ

野付半島へのアクセス

野付埼灯台までは、道道950線を使いアクセスができる。
その先の野付番屋跡遺跡の見学をしたい場合、先端部付近まで、舗装されていない車道はあるが、車による一般の立ち入りが禁じられている。
徒歩での立ち入りは禁止されてないが、途中から道もなくなり場所がわかりにくいため、見学したい場合は別海町観光協会や別海町郷土資料館に相談を。

※画像の一部はイメージです。