「カニ族」だった頃の北海道旅行記

みなさんこんにちは。
私が学生だった1970年代、なにせだいぶ昔の事写真すら残っていませんが、私の北海道へ良好した時の体験談を一つお披露目しましょう。

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70年代のトレンド旅行?

炭鉱の反映に陰りが見えだしていましたが、北海道も鉄道も今では想像も出来ないぐらいに活気があった時代。
私は夏休みを利用して電車で北海道一周する旅に出かけました。

もちろん学生なのでお金はあまり持っていなかったので、大きなリュックに沢山の荷物をつめて、国鉄の周遊券を利用した、自由気ままな貧乏旅行。
リュックが大きくて横向きで列車の通路を歩くから「カニ族」と呼ばれ、若者の間で流行りの旅行スタイルでもあったのです。今で言う、バックパッカーです。

網走駅の夜

そんな旅を続け、たどり着いたのが網走駅。
かの「網走刑務所」や「天都山」の最寄り駅であるターミナル駅です。
当時は夜行列車の運転が当たり前だったので、主要駅は24時間営業という事が多くあり、網走駅もその一つ。
夜の遅くに夜行急行が「発ち」、朝の早くにも夜行急行が「到着」するので、事情は詳しくわかりませんが「シャッター閉鎖」などありませんでした。

その日の夕方、旅の疲れがどっと押し寄せたのでしょう、眠気を催して網走駅の待合室で寝入ってしまい、気が付けば12時も回っていました。

駅の蕎麦屋も閉まっています。当時はコンビニなんかありません。
何も食べていないのでお腹が空いた・・・いえ・・・それ以上に寒い!

Tシャツ一枚に下はジーンズですが、北海道は寒って聞いていたので、荷物から羽織る物を出して着ても寒い!
8月だしこれぐらいで大丈夫だろうと「たかを括って」いたところ・・・夜は予想以上に「激サム」。

居ても立っても居られない寒さ!こんな状況で寝ちまったら「凍死するんじゃねえか?」という恐怖に襲われます。
因みに駅の温度計では10度あるかないかだったと記憶しています。熱帯夜なんぞ来るわけがありません。

思いついたのは

毛布があれば良いのに・・・そこで思いついたのが。
駅にあるごみ箱というごみ箱をすべて漁り「新聞紙」をかきあつめて、Tシャツの下、つまりカラダに直に巻き付け、数を数えて日の出の時間を待つ事にしました。

北海道、それも道東網走の朝は早く、午前4時半には日の出を迎え、寒さに震えながら「お日様さえ出れば温かくなるんだ!」と感激です。
しかし、朝日が昇ったからと言ってまだ新聞紙を剥がすことも出来ません。

「周遊券」では「急行列車」以下でないとそのままの料金では使えないのです。
とりあえず旭川方面の一番の急行列車が来るまで駅の待合室で新聞紙に包まっておりました。

駅員さんからジロジロ見られて恥ずかしい思いをしましたが、状況を察してくれたのか注意される事はありませんでした。
今では許されることではないでしょう。でも当時は緩かったのか寛容だったのか・・・言えるのは良い時代だった。

それからというものは

そのあとも永らく「カニ族」をやりましたが、次の年から防寒具を持っていきました。
それに北海道では、「8月と言えども」外で寝るのはやめよう!
旅は軽装。でも侮らないで「最低限の武装」は必要だと痛感した一夜でした。

おしまい。

※画像はイメージです。

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