歴史と自然に圧倒される硫黄山

道東の弟子屈町にある硫黄山(アトサヌプリ)は標高512mの活火山。
大小1500ヶ所以上の噴気孔からは硫黄の匂いのする白い煙がもくもくと立ち昇り、ダイナミックな自然に圧倒される超おすすめスポット!
駐車場から降りてすぐ、徒歩で噴気孔ぎりぎりまで近づくことができ、ちょっぴりスリリングな人気の観光スポットです。

目次

硫黄山の歴史

実はこの硫黄山、硫黄採掘の鉱山として利用されていました。
明治時代、硫黄は火薬の原料として注目浴びるようになり、採掘に着手したのは釧路の網元である佐野孫右衛門で明治10年頃から30数名の坑夫たちを使い採掘を開始しました。
佐野は硫黄山から釧路までの輸送路を開拓、明治16年には全道一の採掘量をあげるようになります。

その後、採掘権は函館の銀行家であった山田慎に譲渡され、財政難のため明治20年に安田財閥の創始者 安田善次郎へと移ります。
山田が硫黄山を買収した明治18年、標茶町に囚人700名を収容する釧路集治監が創設されました。明治政府は囚人たちを北海道開拓の人手不足解消にあて、釧路集置監の囚人たちの多くが硫黄山の採掘に従事するようになりました。
労働環境は過酷で、亜硫酸ガスに目を犯され、栄養失調も重なり失明する者が続出、硫黄の臭気の中、頭が朦朧するためか殺傷事件も多かったといいます。
操業開始からわずか半年間で囚人300名余りのうち、45人が病み、42人が死亡。明治20年、釧路集置監は硫黄山での採掘労役を中止します。
北海道が舞台の人気漫画「ゴールデンカムイ」にはこの囚人たちをモデルにしたキャラクターが登場しています。

安田善次郎は硫黄山付近から釧路まで鉄道を敷設。明治24年、硫黄の運搬だけでなく旅客も乗せる釧路鉄道が設立され、この地域の近代化に多大な影響を与えることになりました。
採掘量が減り、明治29年、安田は莫大な利益を得たところで硫黄山の採掘を中止。
その後、何度か経営者が変わり、1970年に閉山されました。

硫黄山の楽しみ方

歴史に思いを馳せながら歩くのももちろん楽しいですが、硫黄山には他にも楽しみがたくさん。駐車場の傍にある硫黄山レストハウスでは、地熱を利用した名物の温泉卵を食べることができます。
また6〜7月にかけてはエゾツツジを楽しむことができます。エゾツツジは酸性の土壌を好む純白の花。
川湯温泉街から硫黄山にかけて続くおよそ2.5km(徒歩1時間程度)の「つつじヶ原自然探勝路」は人気のハイキングコースです。

硫黄山駐車場は500円の駐車料金がかかるのですが、摩周湖第一展望台との共通券(第三展望台は無料)となっています。
硫黄山に行く際は、摩周ブルーと呼ばれる摩周湖の美しい青い湖面もセットで見に行くのがおすすめです。
(※2022年現在)

 

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