昔は北のウォール街と呼ばれていた?小樽の歴史をご紹介

明治時代から北海道の物流の拠点として栄えた商都小樽。
戦前の小樽は、石炭の積出し港であったことやニシン漁の最大拠点であったこともあり、北海道の1、2を争うほど繁栄していた一大都市でした。

小樽には石炭とニシンで得たお金がどんどん入り、ロシアとの交易などに為替や保険などの対応が求められた結果、最盛期に25行もの金融機関が小樽に支店を出し、北日本隋一の金融都市としても栄えて北のウォール街とも呼ばれていたのです。

小樽の繁栄は凄まじかった!その3つの理由とは

小樽はなぜこれほどまでに成功したのか?
それはとりわけ、3っの理由がありました。それぞれを解説していきます。

1.  ニシン

明治時代、小樽周辺ではニシンが大量に獲れ、「無比のニシン漁場」とされ、なんと最大で年間9万トンものニシンが水揚げされるほど!
当時、本州では農産物の収穫を増やすための肥料にイワシを使用していましたが、イワシが不漁になったため、代わりに北海道で獲れるニシンを肥料として使用するようになります。

こうしてニシン漁業は、たった数日のうちに1年間生活できるほどの利益をもたらし、ニシンを求めて出稼ぎ労働者がどんどん増え、大変にぎわい栄えていったのです。

ニシン御殿

2. 石炭輸送

明治15年(1882年)に、石炭輸送のため北海道初の鉄道が開通します。
小樽の手宮(てみや)には石炭の積出しや鉄道関連の施設が造られたことで、大量の物資や仕事を求める人々が殺到しました。

その結果、市街が栄え、商店や問屋、料亭や海岸線沿いの倉庫群が立ち並び、活況が出現したのです。

3. 交易

日露戦争に勝利した結果、北運河近くにある旧日本郵便船小樽支店の会議室は、ポーツマス条約に基づく日ロ間の樺太国境画定会議に使われました。
そして中国に満州国が誕生、小樽は地理的に近かったことから物資の供給拠点として、交易や海運業が発展していったのです。

そして小樽は衰退していく…しかし、復興を遂げる。

繁栄していた小樽ですが、昭和に入り衰退していくことになります。
その理由として、ニシンを獲りすぎた結果、不漁になってしまいました。次いで、エネルギーの主役が石炭から石油に変わり、海運も苫小牧の太平洋ルートが主流になったことで、小樽の主要産業はどんどん失われていったのです。

そんな小樽ですが、現在では観光業で復興し、当時の歴史的な建造物がそのまま残っているため、ノスタルジックな街並みを楽しむことができる観光都市として再び注目をあびるようになります。

いまでも残る銀行の建物のかずかず

小樽は栄華を誇った時代のノスタルジーを感じる建物が数々残っています。
おすすめをいくつか紹介しますね。

旧北海道拓殖銀行小樽支店

かつて作家・小林多喜二が働いていた建物です。現在は似鳥美術館になっており日本・海外の洋画や木彫の展示が行われています。

旧三菱銀行小樽支店

1階はギリシャ・ローマ建築風の柱が6本並んでいる造りの建物です。現在は「小樽運河バスターミナル」として使用されています。

日本銀行旧小樽支店金融資料館

2階建てで表面にモルタルが塗ってあり、石造り風に仕上げてある建物です。現在は金融資料館になっており、日本銀行の仕事と実際に使われていた金庫や日本銀行券などが展示されています。

日本銀行旧小樽支店

東京駅の設計で有名な辰野金吾とその弟子たちが設計した建物です。レンガ造りの建築技術に、当時最新の技術であった鉄骨やコンクリートなどの技術が取り入れられています。(現在は金融資料館として使用されています。)

旧三井銀行小樽支店

重厚な石積みのルネサンス様式の外観と、吹き抜けの回廊がめぐる建物です。当時の小樽の繁栄を象徴しています。

小樽観光では「北のウォール街」がおすすめ!

ノスタルジックな街並み、その景色から街の繁栄と衰退の歴史を実感することができる小樽。
小樽の街をまわるのには、人力車をお勧めします。
当時のまま残っている倉庫や豪華な造りの銀行の前を巡るコースは、タイムスリップした気分になれますよ♪

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