北海道の名城?「五稜郭」に思いを馳せる

土方歳三の最後の地となった場所へと赴いてみたかったと、彼の足跡を求めたかったことが理由で「五稜郭」に向かいました。

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そもそも五稜郭とはいったい何なのか?

簡単に説明しますと、まず1854年の安政元年の3月にて日米和親条約が締結され、その折に箱館開港が決定しました。
箱館奉行の建造が計画され、1857年の安政4年の7月に五稜郭築造が開始されて、奉行所庁舎建設を皮切りに土塁工事などの建物工事が進んでいきます。

石垣工事を行うと当時においては最大規模の計画であるのですが、土地柄のせいか地盤が脆弱であることや、北海道特有の冬季の凍結やまた雪解けに起こる融解などのせいで壁面が崩落してしまうなど、その工事は過酷さを増したと言います。

実に長い年月をかけた一大事業でもある五稜郭建造は、1866年の慶応2年にて全ての工事が完了し、莫大な資金が投入された、この一大事業にて、箱館は人が満ち大都市となるのですが、北海道に建造された最初で最後の城でもあったのです。

城?

城?と、疑問符を浮かべて首をかしげてしまう人もいるかもしれませんが、筆者にとっては、まさに城と言っても差し支えの無い様子があり、独特の形をした堀の形は惹かれてしまう魅力がありました。

後に新選組の土方歳三を始めとする、幕府軍の最後の拠点として機能し、また函館戦争の最大の拠点になるのでした。
資料館を覗いた時に見た、当時の激戦を思わせる品物に合わせ、筆者が非常に感動したのは五稜郭内に置かれていた大砲などでした。
かつての堅牢さを彷彿させる、幾つもの個所に置かれていただろう大砲を見て、心が非常に踊ったものです。

必死が五稜郭に惹かれていた最大の要因は、年末時代劇スペシャル「五稜郭」にあります。
土方歳三役の渡哲也が非常に良い演技をし、男達の最後の夢を命を懸けて通したと、その夢後を見るかのように五稜郭に足を踏み入れたのが、そもそもの観光理由でした。
無論、今の五稜郭は観光地として栄え、かつての面影などはなく、風光明媚な公園として楽しめる、そんなお勧めな観光スポットです。

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