北海道の常呂町がカーリングの聖地となったわけ

オリンピックでの活躍から一躍大人気となった女子カーリングチーム・ロコソラーレ。もぐもぐタイムでお菓子を食べるときの愛らしい姿や彼女たちが交わすあっけらかんとした会話にも注目が集まっています。

そんな大人気のロコソラーレは常呂町がホームタウンです。彼女たちが活躍できているのも町をあげての絶大なバックアップがあればこそといえるでしょう。常呂町は、選手が競技に集中できる環境づくりを積極的に行っていますが、その背景には50年にわたってカーリングの普及に取り組んだ歴史があるのです。

目次

北海道・常呂町はなぜカーリングが盛んなの?

常呂町がカーリングの聖地といわれるようになった歴史をひもときましょう。時は1980年まで遡ります。この年、北海道はカナダ・アルバータ州と姉妹連携を締結しました。その交流イベントとして当時カナダでさかんに行われていたカーリングの講習会が開かれたのです。この講習会に参加したうち一人が、のちにカーリングの父と呼ばれるようになる故・小栗祐治さんです。

彼は、雪や流氷で閉ざされてしまう冬の期間に常呂町町民が集まって楽しめるスポーツになるのでは、と考え普及に努めました。当時はカーリング専用のアイテムなど全くなく、ストーンはビール樽を改造したもの、ブラシは竹ぼうきで代用していました。勿論カーリング場などはなく、野外に水を撒いて氷を張るという何から何まで手作りで始められたといいます。こうして町民の社交の場として徐々に根付いていったのです。

そんな中、1989年に北海道で「はまなす国体」が行われることになり、カーリングがデモンストレーション競技として常呂町で開催されることになり、それに合わせて同町に日本初の屋内カーリング場が建設されました。

小栗祐治さんは、常呂カーリング協会の初代会長に就任し、町での普及に努め、多くのオリンピック選手を輩出するまでに至りました。そして、教え子がメダリストとなる平昌五輪を見ることなく2017年に他界されました。常呂町がカーリングの聖地となった背景には、小栗さんのとどまるところを知らない情熱があったのです。

町民の5人に1人がカーリング経験者?

常呂町の人口は約5000人で、その多くがカーリング経験者といわれています。1990年からは常呂町にある小学校の冬の体育授業にカーリングが採用され、現在ではすべての中学・高校でも授業として行われています。

こうしたすそ野の広さが、オリンピック選手に常呂町出身者が多くなった由縁なのです。

カーリング娘はみんな常呂町出身!

北京五輪で銀メダルを手にしたロコソラーレではリザーブの石崎選手以外、代表理事のマリリンこと本橋麻里さんをはじめ全員が常呂町の出身です。また過去をさかのぼると、初めてカーリング娘として知られるようになった2002年のソルトレイク五輪に出場した「シムソンズ」も全員が常呂町出身でした。2005年、「シムソンズ」をモデルとした映画が公開されました。

撮影は常呂町での完全ロケ、町が全面的にバックアップし、多くの町民のボランティアやエキストラの協力を得て行われたのです。「シムソンズ」中心選手だった小野寺選手と林選手は、のちに青森へ渡り「チーム青森」としてトリノ五輪に出場して話題となりました。
その後も五輪出場選手の多くを常呂町出身者が占めることとなります。小栗さんの夢であった「常呂町からオリンピアンを育てる」という夢が叶い、今もその熱意は生き続けているのです。

まとめ

2006年常呂町は周辺の3市町と合併し、北見市常呂町となりましたが、カーリングにかける熱意は北見市にそのまま引き継がれています。

カーリング愛にあふれる北見市では、様々なものがカーリングにちなんで作られています。常呂神社ではカーリング・ストーンを模したお守りがつくられ、人気を呼んでいます。他にもストーン型の陶器、ベーグルなどなど、目にも楽しい北見ならではの名物が販売されるようになりました。いまや、カーリングはスポーツという範疇を通り越して町おこしの一環にもなっているのです。

1人の熱意がこれほどまでに大きなムーブメントを起こすことになることを、50年前、誰が予測できたでしょう。
もし北海道を訪れることがあれば、北見市へ立ち寄ってカーリング関連のお土産を探してみるのも楽しいですね。ロコソラーレがホームとしている「アドヴィックス常呂カーリングホール」ではカーリング体験も可能なので、土産話のネタに試してみるのもよいでしょう。

※画像はイメージです

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