援農の思い出

貧乏学生だった私は、夏休みを前に何か良いアルバイトはないかと学生相談所へ赴いたとき、やたら目立つ「援農求む!北海道の農場で働きませんか!」をみつけました。
職員さんに詳しく話を聞いてみると、3食付きの住み込みで40日間、報酬は行きの交通費と日額約3000円と悪くはない条件だったので、「アルバイトをしながら、旅行できるやん!」と即座に決めたのです。

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いざ北海道へ!

その頃は飛行機が無かった訳ではないのですが、運賃が今ほど安くなくて気軽に使えず、もっぱら鉄道が主流でした。
大阪から『きたぐに』という急行列車で青森まで、青森から函館までは青函連絡船。函館から目的地の中標津まで国鉄の鈍行路線。
行きの列車の中は、旅行するグループや私たちのような働きに行く人でいっぱいだったのを覚えています。

クタクタになって目的地の中標津の農家に着いたのは3日目の夕方でした。各地から集まった10人くらいの若者の共同生活が始まったのです。

援農が始まる!

5時に起きて朝ごはんを食べ、トラックで牧草を刈り取った畑まで行き、広い土地に牧草を広げます。
広げ終わると元の場所に戻り、またひっくり返す、その作業の繰り返しです。

昼になると家に戻り、全員で昼ごはんを食べて少し休憩した後は、日が沈むまで。
来る日も来る日も牧草を乾かす作業を続けていると、熱くて倒れてしまう事もあります。
そんな時は日陰でしばらく横になるのですが、ときどき吹いてくる風を爽やかに感じ、北海道にいるんだなって実感が湧いてくるのでした。

思ったより辛い毎日でしたが、良いこともあります。
それはたまにジンギスカンが食べられることで、北海道にいるという臨場感と周りのむさ苦しい学生の威勢のいい食べっぷりでさらに食欲をそそり、肉や野菜を山ほど食べたのです。

余談ですが、あれから何回もジンギスカンを食べる機会がありましたが、あの時を超える旨いジンギスカンを食べた事がありません。ほんとうに新鮮だったのか、思い出の補正なのでしょうか。

雨の日はお休み

雨が降ると仕事ができないので休みになり、農家の人に町まで連れて行ってもらい買い物をしたりして過ごします。
北海道に来るまでは気にしたことすらなかったのですが、畑や牧草以外、なんにもない場所から来た町はたった数日しか経っていないに懐かしさを感じました。

若干うんざりしていた事もあって、しばらく雨が続けばいいのになんて思ったりしていると次の日は晴れて、辛い日々に逆戻り。
そんな暑くて辛い毎日が続いていくなか、どうしても耐えられなくなり、ある晩、仲良くなった仲間と二人でとっとと帰ろうと脱走を試みました。

満天の星の下、友人と2人で夜道をひたすら歩きましたが、遠くに山が見えるだけで景色はまったく変わらない。
行けども行けども真っ直ぐな道が続き、車が通ればヒッチハイクとも考えたのですがその気配すらありません。
20分ぐらい歩いてたどり着いた林に「熊出没注意」に看板が見え、奥の方からガサガサっと音が聞こえました。
私達は遅くなって農家へ逃げ帰り、とうとう脱走を諦めたのです。

汗まみれの道東

長くて短い40日間のアルバイトを終え、手にした約12万円を持って、脱走仲間と2人で約1週間ぐらいかけて道内を周遊し、小樽から舞鶴までのフェリーに乗って帰りました。

割りのいいアルバイトではなかったかもしれませんが、広い大地と美味しい食べ物、ちょっとした冒険も含めて一生忘れません。
もうあの夏は戻ってこない、貴重な体験です。

※画像はイメージです。

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