源義経は平安時代後期の武将で、鎌倉幕府を築いた兄の源頼朝に迫害され、岩手県奥州市において自害したとされています。実は生き延びており、津軽海峡を渡り蝦夷地(今の北海道)に行ったなど謎の多い人物です。
北海道の随所に義経伝説があります
義経はいろいろな文献に登場しており、室町時代初期には「義経が渡りました蝦夷が島」などが記載されています。江戸時代の書籍には「義経は衣川で死せず逃れて蝦夷島に至ってその種存す」ともあります。義経が今の北海道に渡った伝説は昔からあり、日本全国において多くの義経の名が付いた名所を見つけることが可能です。
北海道には120以上あると言われており、道南や日本海側に集中しているのが特徴的です。北海道最大の伝説があるのは平取町で、町には義経資料館があります。義経にまつわるさまざまな伝説がありますが、いくつか共通点もあります。恋愛や黄金、隠れ里や巻物盗みなどが対象です。
岩内町にあるメヌカ岩について、義経と恋仲だった若い女性が海に身を投げた伝説があり、恵庭渓谷にあるラルマナイ滝では財宝を埋めた黄金伝説があります。本別町の本別公園弁慶洞では弁慶が一冬過ごした隠れ里伝説もあり、義経がアイヌの秘法である巻物を盗んだ巻物盗みの話が伝わっています。
義経は海を渡ったのか?
源義経は北海道から海を渡り、大陸でチンギス・ハーンになった伝説もあります。義経は奥州藤原氏に匿われていましたが、頼朝の追討令によって藤原忠衡の裏切りにあってしまいました。最終的に自決したとされていますが、義経の首が鎌倉に届けられたのは1カ月以上後でした。鎌倉に届けれた首は義経のものではなかったのかもしれません。
正体を隠すためにわざと時間をかけたのではないかという説もあります。自決しなかった義経は蝦夷地に渡ったと噂され、その話を裏付けるように北海道に義経ゆかりの地がたくさんあり、中には義経をお祀りした神社を見ることが可能です。北海道に渡った理由について、アイヌ民族を従えて兄のいる鎌倉に逆襲しようとしたのではないかという説もあります。当時蝦夷地には奥州藤原氏との貿易によって莫大な財産がありました。
義経はアイヌ民族の財力を手に入れようとしたり、蝦夷地において農耕を教え兵糧を確保しようとした説があり、アイヌ民族では義経が農耕の神様としてもお祀りされています。義経はロシアに渡ったという説もあり、モンゴルまで行ってチンギス・ハーンになったという話もあります。歴史的な流れとして、義経が消えてからチンギス・ハーンが登場しています。
チンギス・ハーンは大きな弓を持っていたそうですが、当時のモンゴルは小さな弓しか使っていませんでした。大きな弓を使っていたのは当時日本だけです。
最後に
モンゴル帝国を築いたのは実は日本人だったという発想にはロマンを感じることができます。
北海道を訪れたなら、源義経をテーマにしてミステリーツアーを楽しんでみるのはいかがでしょう?
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