道民を震撼させたヒグマ OSO18! なぜ4年も捕まらなかった?

明治2年の開拓時から北海道では、ヒグマによる被害がたびたび問題となっています。
その中でも1915年の三毛別羆事件は、道民の皆さんの記憶に深く残っているのではないでしょうか。

近年、北海道民を震撼させたヒグマ「OSO18」。
OSO18とはどんなヒグマなのか?
なぜ4年のあいだハンターに捕まらなかったのか?
OSO18の残した謎とは?
怪物ヒグマ「OSO18」の正体を考えていきます。

目次

北海道とヒグマ

まず、ヒグマと北海道との歴史や関係について簡潔にお伝えします。

体重400キロ、体高約3メートル。ヒグマは、日本国内で北海道のみに生息する日本最大の陸棲哺乳類です。1869年の北海道開拓時から2024年の現在にいたるまで、数々の被害を出し、恐ろしい存在として認識されてきたヒグマ。

1915年には、北海道苫前郡苫前村三毛別(現在の苫前町三渓)六線沢で、人間の女性を狙って襲うヒグマ被害事件「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」が発生しました。この事件は過去最大のヒグマ被害といわれており、当時クマによって7名の命が失われました。

それまでヒグマは山の中でしか遭遇しないものと認識されていたのですが、近年では麓だけでなく、市街地や観光地にまで出没するようになっています。スキー場、公園、市街地など、北海道を観光する際はクマの出没情報に注意するよう呼びかけられています。

特殊なヒグマ「OSO18」

北海道に留まらず世界にも注目された怪物ヒグマ、OSO18。どうしてOSO18は怪物と呼ばれるようになったのでしょうか。ほかのヒグマに例をみない特殊なヒグマの行動に迫ります。

はじめて牛が襲われた場所が標茶町オソツベツだったこと。足跡の幅が18センチだったことを踏まえて「OSO18(オソジュウハチ)」と呼ばれるようになったそのヒグマは、体長約2メートルのオスでした。

OSO18による被害がはじめて確認されたのは、2019年の7月。ある各農家にて1頭の牛が死んでいるのが発見されました。そのあともOSO18による被害は収まることはなく、4年間のあいだに襲われた牛の数はあわせて66頭にのぼります。

はじめのうちはOSO18が牛を傷つけるだけで食べずに放置した、と報道されることも多かったのですが、それは誤りでした。しだいにOSO18は牛の内臓だけを食べて、そのほかの不要な部分はそのまま放棄していたというのが明らかになります。

OSO18はまるで忍者

当時、怪物として道民に恐れられる存在となったOSO18は「忍者」とも呼ばれ、地元ハンターたちを悩ませていました。なぜハンターたちを悩ませていたのか。それはOSO18が非常に賢いヒグマで決して人前には姿をあらわさないことにありました。

ただでさえ広大な範囲からOSO18を捜索するのは至難の業です。そんな中でも地元ハンターたちはOSO18の目撃情報とこれまで培ってきた知見、経験を頼りにOSO18に接近していきます。

もちろんハンターたちは箱罠やくくり罠を仕掛けます。本来、OSO18はそれらの罠にかかって仕留められるはずでした。しかし、OSO18が罠に引っかかることはありません。さらに罠に設置されたエゾシカの肉だけを持ち去る始末。
設置されたカメラにもOSO18の姿が写されることはありません。

にもかかわらず、牧場の牛は襲われつづけます。人間の行動を熟知しているかのように巧みに罠を避け、銃を発砲できない深夜に牛を襲って夜明けには姿をくらます。

OSO18は”まるで忍者のようなクマ”だと地元ハンターたちはいいます。

OSO18が怪物化した理由

そもそも、なぜOSO18は牛を襲うようになったのでしょうか?

本来クマは木の実や野草などを食べて暮らす草食傾向の強い動物です。そんなヒグマが次から次へと牛を襲って食べた理由。その要因として、もっとも有力なのがOSO18が肉の味を覚えたということです。一度、肉の味を覚えたヒグマは肉を求めてふたたび牛を襲うようになります。

また、OSO18が人間の生活圏に侵入してきた発端はデントコーンだったといわれています。デントコーンを食べにやってきた際に牧場の牛の存在に気がつき、襲ったのだと推測されています。

さらに調査を進めていくと、被害のあった地域で”あるもの”が大量に発見されました。
エゾシカの死骸です。

それも骨と皮だけの死骸でした。その状況から、ハンターがシカの角や価値のある部位だけを持ち去り、ほかの利益にならない部分の肉を放置したのだと考えられました。

大量の死骸を目にした地元ハンターたちは、OSO18がエゾシカを食べたのだと推測します。この見解が正しいとすると、OSO18は牛を食べて肉の味を覚えたのではなく、はじめにエゾシカを食べて肉の味を覚え、それから牧場の牛たちを襲ったと考えるのが一般的です。

  1. エゾシカが増殖して作物に被害が出るようになる
  2. ハンターたちがエゾシカを狩り、死骸を不法投棄
  3. OSO18がエゾシカを食べて肉の味を覚える
  4. 酪農家の牛たちが襲われるようになった

OSO18の結末と残された謎

4年間で、計66頭もの牛を襲いつづけてきたOSO18の結末と残された謎とは?

OSO18の正体と新たな疑問

2023年8月22日。北海道は釧路町で同年7月に駆除されたヒグマの体毛をDNA鑑定した結果、OSO18であったことを発表しました。発見時、体長2.1メートルのオス熊の体重は330キログラムだったといいます。以前よりだいぶ痩せてしまったOSO18。仕留めたハンターは当初、目の前のヒグマがOSO18とは思わなかったそうです。

主食である木の実が少なくなる夏の時期は通常、ヒグマたちは草花の根や昆虫類を食べてきびしい夏をしのぎます。ところが、OSO18は肉の味を覚えてしまっていました。そのため、草花を食べることをしなかったのかもしれません。

2019年のオソツベツ地区の被害からはじまって2023年までの4年間。ハンターたちの目を掻いくぐり、「忍者」「怪物」と恐れられてきたOSO18でしたが、その最期はじつにあっけないものでした。

ハンターは80メートルの距離を保ったままライフル銃でOSO18の首を撃ち、その後、距離を詰めて頭に2発撃ちこみました。

絶えずハンターを警戒していたはずのOSO18が、なぜかそのときはハンターを見つけても逃げる素振りをみせなかったといいます。

また、OSO18に目立った怪我はなかったといいます。もし、それが事実だとしたら、OSO18はみずからの意思で動かなかったことになります。

駆除後に確認 OSO18の顔に傷?

なぜOSO18はハンターを前にして動かなかったのか。駆除後、OSO18の顔を確認したところ、計4か所の傷痕が見つかりました。OSO18が駆除された現場の付近では、かれよりからだの大きなヒグマが生息していることが知られていました。もしかすると、OSO18はべつの個体とケンカになって傷を負ったのかもしれない。そんな意見もあがっています。

外傷として目立った怪我はなかったけれど、じつは大きなダメージを負っていた。あるいは病気にかかっていた可能性も考えられますがいかがでしょう。

OSO18の最期はまるで私たち人間になにかを訴えかけているような、そんな行動に思えなくもありません。

OSO18の肉を食べる

ハンターによって駆除されたOSO18は解体され、肉として釧路市の飲食店や東京のジビエ料理店、通販会社が仕入れ、多くのひとたちのもとへ料理として提供されました。

さいごに

OSO18はハンターによって駆除され、事件は終結したように思えました。しかし、専門家は今後もOSO18のようなヒグマがあらわれる可能性はあると指摘しています。

それは、いずれヒグマが人を襲う可能性もゼロではないということを指しています。そうなってからでは遅いのだと思う反面、そもそもOSO18が牛を襲うようになった要因(エゾシカ死骸の不法投棄)をつくりだしたのは私たち人間だという事実に胸が痛みます。

令和6年。2から5月のあいだ、北海道内各地でヒグマの「春期管理捕獲」がおこなわれました。これは人里にヒグマが出没する数を減らすこと、地域の安全を守るために重要な取り組みです。

人間とヒグマどちらが悪いのか、ということではなく、いま私たちが追求すべきはOSO18のようなヒグマを二度と生まないためにはどうしたらいいのかを考えることだと思います。

「このままでは、まちがいなくOSO18 2号は誕生するでしょうね」

このセリフが現実とならないために、私たちはこれからどう行動するべきなのか。そのことをあらためて考えるきっかけをOSO18はつくってくれたのかもしれません。

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※画像はイメージです。

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