北海道の冬はきびしく、汚いお話

今は札幌に住んでいますが、ずいぶん昔の炭鉱が元気だった子供の頃、ある炭鉱町に住んでいました。

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あの頃

昔住んでいた家は木造の炭鉱住宅だった為、窓枠も木でできており隙間風が酷く、冬になる前に窓にビニールを貼り冬備えて少しでも寒さを凌ごうとしていました。

それでも木造の家は寒く、自室で寝ている間に布団の息がかかる部分に霜が降りてる事もしばしば。
でも朝起きて居間に行くと石炭ストーブの周りだけはとても暖かく、毎朝早く寒いうちから起きだして、火を焚いてくれていた母親にいつも感謝です。

雪の日

家にお風呂が無かったため、吹雪でも近くの大衆浴場へ通っていました。
ある日のお風呂の帰り道、前が見えなくなるほどの大吹雪に見舞われたのです。

せっかく温まった身体が急速に冷え前髪や鼻水がツララ状態になり、息をする事も苦しくなり、泣きながら母親の手にしがみつき、生まれて初めて「死んでしまうかもしれない」と思った。
街頭が無い真っ暗な道と、隣にいる母親の顔さえ認識できなくなる雪、息ができなくなる位の風は今でもはっきり覚えています。

ほうほうのていで家に帰りつき、温かいストーブに迎えられ、ホッとしたのと同時にお風呂に行かなかった父親がノンビリとテレビで野球中継を見ていた事に無性に腹が立ってしまいました。

汚い話

我が家はトイレが汲取式、いわゆるボットン便所でした。

冬になると「アレ」が凍って、段々うず高く積み重なって山となり、お尻に突き刺さりそうになっていきます。
それを母親が外にある汲み取り箇所から、長い棒で突っつき山崩しをするのが風物詩となっていました。
外から聞こえる母親の嘔吐く声を聴く度、「早く我が家も水洗トイレになりたい」と切に願ったものですが、おとなになるまで叶わぬ夢だった。

ちなみに「アレ」を突っつく棒は我が家では「おくそかまし棒」と名付けられ、冬の出番を納屋の奥でひっそり待っていました。
今では実家も水洗トイレとなり、帰った時に家族でお酒を飲みながら昔話をする度、「おくそかまし棒」の話で大いに盛り上がっています。

※画像はイメージです。

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