北海道に伝わる義経伝説

北海道に、源義経の伝説があることをご存じですか?
義経といえば、鎌倉幕府の将軍・源頼朝の弟。平家を滅ぼした最大の功労者として歴史に名を刻んでいます。また、岩手県の平泉で青年時代を過ごしたことでも知られています。
では、なぜ北海道に義経の伝説があるのでしょうか?今回はその辺りを学んでみたいと思います!

目次

源義経と北海道の関係は?

史実によると、義経は平家との戦いの功績により朝廷から役職の褒美を授かりましたが、そのことで兄・頼朝との関係が悪化してしまいます。そして再びゆかりの地である平泉へ戻りますが、後に自害したとされています。
しかし、実は津軽海峡を渡って蝦夷地に入ったという「義経北行伝説」が残されています。義経は、留萌・稚内まで到達した後、大陸に渡ってチンギスハンになったという説もありますが、史実とての根拠はなくほぼ否定されています。

既に江戸時代には、林羅山という本には「義経衣川で死せず、逃れて蝦夷島に至り、その種存す」と記されていて、この時代には義経が北海道に渡ったという伝説が広まっていたことがわかります。

裏付ける伝説の数々

では、どうしてこのような伝説が広まったのでかといえば、北海道には史実では義経と関わりのないはずなのに、たくさんの伝説が残っているからです。
その数は120以上あるといわれ、そのほとんどが道南の日本海側に多く残されています。

義経が蝦夷地へ渡ったと唱えられているルートは、青森の竜飛から福島町に渡り、松前〜江差〜寿都〜岩内を道南を北にあがり、洞爺湖〜支笏湖〜平取〜新冠〜留萌へと至ります。
その中でも、色濃く残っているのが平取町にある義経神社ではないです。

義経神社は、1799年(寛政11年)に義経の御神体が安置され祀られました。
義経は、蝦夷地へ渡りアイヌの人々が繁栄していた平取のアイヌの酋長のもとに定住したとされています。そして造船・機織・農耕・狩猟などの技術を伝授して、アイヌの人々から崇拝され「ホンカンカムイ」と呼ばれ、神格化された存在です。

江戸時代中期以降にも、和人とアイヌが接触する中で共通の伝承として「義経北行伝説」が存在します。
アイヌの人々が義経をカムイと崇拝していることから、各地でこのような伝説が残されているのではないでしょうか。

北海道に残る義経伝説とは

数多く残る義経伝説にはいくつかの共通点があります。パターンとしては、アイヌの娘と義経が恋仲になるというもの。また、財宝を埋めたという黄金伝説や、弁慶たちの隠れ里伝説。また、義経がアイヌ秘法の巻物を盗むという巻物盗みなどです。

そして、これらの伝説は元々あったアイヌの英雄伝説を作り変えたともいわれて、和人がアイヌの人々を支配するための政策の一環だったとされています。

おわりに~義経×アイヌ=歴史ミステリー

いかがでしょうか?義経と関連のない北海道で多くの伝説が残るという謎。本当に義経は北海道に居たのではないかと思ってしまいますね!

そして義経といえば、天才武将、軍略が得意というイメージでしたが、アイヌと交流したりカムイと崇拝されたり北海道へ渡った後のイメージは少し違いました。
それは、アイヌの英雄伝説に置き換えられた義経像だからなのかな?と思いました。

みなさんも是非、北海道の旅でこの歴史ミステリーを辿ってみてくださいね!

※画像はイメージです。

 

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