1974年8月21日、新十津川町。
午後5時10分頃、捜索活動中の地元警察によって、被害者の遺体が農道脇の側溝から発見された。
被害者は伊藤幸子さん、22歳。
彼女は二日前の夜、勤務先のデパートを退勤し、いつものようにバスで帰宅するはずだった。だが、自宅まであとわずか400メートルという距離で、その足取りは途絶えた。
死因は、首を絞められたことによる窒息死。遺体の損傷や痕跡から犯行は突発的ではなく、計画性を感じさせるものだった。
だが警察の執念の捜査も空しく、犯人は逮捕されることなく、事件は時効を迎えた。
一見すれば、個人的な怨恨か、あるいは偶発的な犯行、しかしこの事件には、看過できない既視感があった。
この事件は「通り一遍の殺人事件」なのだろうか?
2年前の1972年8月19日。
奇しくも、2年前の1972年8月19日。
新十津川町のすぐ近隣、砂川市に住む19歳の女性Aさんが、自宅近くのバス停で姿を消していた。
2件の事件には、多くの共通点があった。発生日はいずれも8月19日、帰宅途中の女性が忽然と姿を消し、絞殺されたうえで性的被害は確認されていない。そして、被害者の2人は同じ滝川市内のデパートに勤務していたというのだ。
この異常な一致が、「連続殺人事件」と見なさせるに十分な材料だった。
しかし、2件の間にはひとつだけ、決定的な違いがある。それは、「解決しているか否か」という点だ。
1972年の事件については、すでに容疑者が逮捕され、有罪判決を受けているという。ところが、その犯人が本当に犯行を行ったのか、あるいはなぜ逮捕されたのかを調べても、はっきりしたものが出てこない。
仮にその逮捕が事実であり、なおかつ容疑者が収監されていたのだとすれば、1974年の犯行を物理的に行うことはできない。つまり、別人の手による殺人である可能性が高いということになる。
だが、そう結論づけるには、あまりにも共通点が多すぎるとおもう。
被害者の勤務先、帰宅手段、消えた日付、発見場所、殺害の手口。これほどまでに一致する事件が、別々の犯人によって偶然引き起こされるだろうか。むしろ、1974年の事件は1972年の事件を「再現しようとした」かのようにすら見える。
そこに意図があるとすれば、犯人は1972年の事件に深い関わりを持っていた人物か、あるいはその犯行を知る者。
たとえば共犯、親しい身内、あるいは事件の目撃者だった可能性すら浮かび上がってくる。
仮定
1972年の事件そのものが誤った結末を迎えていたとすればどうだろう?
犯人とされた人物は冤罪で、本当の犯人が野放しのままだったとしたら、1974年の再犯は当然の帰結ともいえる。捜査の過程で何かが見逃され、あるいは隠され、連続性を見失わせた可能性も否定できない。
いずれにせよ、1974年の殺人が「普通の事件」ではなかったことだけは確かだ。
あまりにも重なる点が多く、あまりにも“演出”めいていた。それは模倣にしては目的が見えず、怨恨にしては動機が不透明で、突発的にしてはあまりにも整然としていた。
もしかすると犯人にとって、被害者は「偶然選ばれた誰か」ではなく、「選ばれるべくして選ばれた存在」だったのかもしれない。
そして、8月19日という数字にも、何かしらの意味があったのではないか。
単なる偶然ではなく、何かの記念日、儀式、あるいは犯人自身の記憶に刻み込まれた「運命の日」だったと考えれば、二つの殺人の線は再び重なって見えてくる。
ひとつは解決済みとされ、もうひとつは未解決のまま終わった。
しかし、本当に解決したのはどちらだったのか?
そんな事を妄想してしまうのだ。
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