太平洋に面した港町の釧路、私は小さい頃から住んでいます。
今でこそ霧と夕日で知られる観光地ですが、昭和の頃の釧路は経済の中心地のひとつでした。
あの頃から比べると淋しくなりますが、港には汽笛が響き、街にはネオンが瞬くような時代の空気が、今でも北大通や末広町の片隅に息づいているように感じます。
かつての釧路が歩んだ栄光と人々の暮らしをたどりながら、釧路の魅力を少しでもお伝えできれば嬉しいです。
黄金期の記憶
明治末から昭和中期にかけて、釧路は炭鉱と北洋漁業の二本柱で道東の経済を支えていました。
戦後の昭和30年代、釧路港の水揚げ量は全道一を誇り、末広町や栄町の繁華街には料亭やキャバレーが立ち並び、漁業関係者たちで賑わっていました。
しかし昭和40年代以降になると、北洋漁業の遠洋化や港湾機能の変化、炭鉱の閉山などにより、かつての活気は徐々に衰え始めます。
商店街の人通りも徐々に減り、繁華街の灯りはかつてほど輝かなくなったようになりました。
今では記憶として残るだけですが、港に近づけば磯の香りと船のエンジン音が混ざり合い、どこかノスタルジックな気分を誘います。
夏から秋にかけて、海に沈む夕日とともに漁火が美しく映えると、寂しさが込み上げてくるようです。
北大通に残る昭和の記憶
駅から舞鶴橋へ向かう「北大通」は、釧路を代表する商業街で、百貨店「丸三鶴屋」や映画館が立ち並び、休日には買い物客で賑わっていました。
昔の記憶を思い出しながら通りを歩くと、シャッターが閉まっている店や空き地が目立つようになってしまってはいますが、いくつかの建物や看板に当時の面影が残っており、昭和の空気をかすかに感じることができます。
時が止まったような「喫茶店リリー」、子供の頃に誕生日に高価なプラモデルをせがんで買ってもらった「ミヤケ模型店」。他にもあの頃から営業を続けているお店もちらほらとあって、活気に満ちていた時代の雰囲気を感じ取ることができます。
霧の街
釧路を語るうえで欠かせないのが“霧”です。
春から秋にかけて霧が発生しやすく、街はしばしば白いヴェールに包まれます。霧の夜、港の灯が滲み、遠くから汽笛が響く光景は、昭和の人々にとって日常でありながら、心に深く残る情景でした。
まだ国鉄にSLが走っていた頃、霧の中で駅の方から聞こえる汽笛の音に、旅情を感じたものです。
それが影響なのか、鉄道好きな私は、霧、汽笛、そして港町のネオンが交わると最も釧路らしいと思うのです。
釧路市民が育んだ味
釧路市民たちの胃袋を満たしたのが、名物「スパカツ」です。
鉄板に盛られたスパゲティの上にジューシーなカツをのせ、熱々のミートソースがとろりとかかる「スパカツ」は、1950年代に「泉屋」で生まれ、大人気となりました。
家族で「泉屋」へ夕食を食べに行くと、必ず「スパカツ」を頼み、量が多くて食べきれない分を父親が平らげる。
当たり前の風景で、懐かしい家族の思い出とともに、昭和の賑わいが今も心に残ります。
昭和の灯が今もともる街
港に立てば、潮風の中にかすかに昭和の匂いが残っている。
北大通のネオンサイン、霧の向こうにぼんやりと浮かぶ漁火、遠くから聞こえる汽笛の音、昭和の記憶が静かに浮かび上がります。
過ぎ去った時間は戻らないけれど、釧路にはその面影が今も息づいています。
※画像はイメージです。


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