北海道のお米の歴史は、以外に知られていません。
品種をあげながら、解説していきます。
稲作不可能地帯の北海道(1869〜1890年代)
開拓初期の北海道において、生育期間は短く、初夏でも低温、秋は一気に冷え込むので、稲作は不可能と言われていました。日本国家自体が「米を作れない土地」と想定したようです。
しかしこの時代、札幌周辺、石狩平野が比較的温暖で、水利が確保しやすく、行政機関と試験場を置きやすかった事もあって、実験が開始されたのでした。
本州由来の在来種、名称すら残らない失敗品種がほとんどで、収穫できても反収は極端に低かった、記録に残る「赤毛」は、耐寒性が比較的高く、わずかに実用に近づいた例だが、食味は問題外だったようです。
一方、道南(渡島・檜山)は本州北部に近い気候条件を持ち、理論上は稲作が成立しやすい地域でしたが、耕地規模が小さく、北海道農業の主軸にはなり得ませんでした。
上川盆地、道東、道北では状況がさらに厳しく、生育期間が短いうえに出穂前に気温が落ちてしまったそうです。
この次期の稲作は「農業」というより「限界検証」に近いといえます。
耐冷性至上主義(1890〜1920年代)
1890年代以降、品種改良の軸は「早く実り、寒さで死なないこと」を重視し、それ以外は切り捨てられます。
代表例が坊主系統で、芒(のぎ)がなく、脱粒しにくい。食味は劣悪だが、冷害に比較的耐えます。
坊主1号、坊主2号、坊主5号と改良が進むのですが、改良というよりは延命措置と言った方が良いかもしれません。
主に使われたのは石狩、空知の最低限の収穫が成立する地域に限られていたようです。
赤毛系統も同様で、北海道内消費を前提とした米として、内地市場に出す発想はありません。
上川では冷害頻発で安定せず、道東、道北では成立条件に届かないようなので、道東、道北では成立条件に届きません。
結論として、石狩や空知でなんとか成立した耐冷稲作となります。
戦前・戦中の量産体制と地域役割の固定(1920〜1945年)
1920年代以降、作付面積は拡大するが、地域差はむしろ拡大していく傾向にありました。
そして地域の役割として、石狩・空知は量産地帯、上川は試験と改良の場、道南は比較的安定供給地域、道東・道北は「作ってはいるが期待されない」というような地域の役割が固定されます。
1930年代の戦時体制下では、味は完全に放棄され、坊主5号など耐冷系統が大量生産され、配給用・代替主食として流通します。
この時代の北海道米は、全国の代替主食という評価だったようです。
戦後冷害と地域淘汰の加速(1945〜1960年代)
戦後、1954年の大冷害は、北海道も例にもれず、上川・空知は壊滅的被害となり、石狩も大きな打撃を受ける。
道南は比較的軽微だったようです。
この被害差が、その後の研究投資と品種配分を決定づけていきます。
農林番号系品種、たとえば農林20号などが導入されるが、北海道特化ではないため、効果は限定的だった。
この時期、どの地域を残すかという、現実的な選別が進んでいきました。
内陸寒冷地の対応と限界(1970〜1990年代)
1970年代に奨励品種となったゆきひかりは、北海道米史における重要な転換点でした。
耐冷性を最優先しつつ、それまでの坊主系統よりも、確実に食味を改善したのです。
特に上川盆地や空知地方といった内陸寒冷地において、稲作を安定させる役割を果たしました。
一方で、道南(渡島・檜山)では状況が異なります。
道南は北海道の中では比較的温暖で、生育期間にも余裕があり、ゆきひかりが前提としていた耐冷性や早熟性が必ずしも優位ではありません。むしろ、早熟であるがゆえに収量面で不利になり、食味も市場比較の中では突出しないという欠点が顕在化したのです。
1989年には、耐冷特化を前提としないきらら397が登場します。
この品種は、市場流通を強く意識した安定収量型であり、道南の気候条件では耐冷性不足が問題になることは少なかった。その結果、ゆきひかりとは別の選択肢として急速に普及します。
さらに1997年には、きらら397の後継世代として、家庭用を意識した食味改良型品種であるほしのゆめが奨励品種として広がります。粘りや炊飯適性を向上させたこの品種は、本州市場を視野に入れやすい道南地域の志向と合致し、耐冷性を最優先とするゆきひかりの立場を完全に代替していきます。
いずれにしても、北海道米はゆきひかりが転換点になった事は確かです。
ななつぼしの登場(2000年代)
2000年代初頭、北海道米は一見すると安定化していました。
きらら397によって市場流通は回復し、ほしのゆめによって家庭用米としての評価も一定水準に達します。
しかし内実、地域と用途による使い分けの問題を抱えたままでした。
寒冷内陸向け、業務用向け、家庭用向けという棲み分けは、生産現場にとっては品種選択の複雑化を意味し、流通にとっては安定供給の障害となっていたのです。
この分裂した状態を前提に、「万能ではないが破綻しない」ような品種を目指して開発されたのが、ななつぼしです。
2001年に奨励品種となったななつぼし、極端な耐冷性も、突出した高級食味もありません。
その代わり、石狩・空知・上川といった主要産地で安定して栽培でき、かつ家庭用えお業務用の双方に対応可能なバランス型として作られました。
ななつぼしの本質は、「全道対応」です。
冷害に弱い地域では最低限の耐冷性を確保し、条件の良い地域では収量と品質のバランスを崩さない。その結果、どの地域でも及第点の性能を持つ品種となりました。
これは、ゆきひかり以降に積み重ねられた失敗と妥協の集積であるのです。
流通面でも、ななつぼしは扱いやすかったので。
食味に極端な癖がなく、炊飯特性が安定しているため、家庭用米としても業務用米としても用途を限定しない。結果として、生産者・卸・小売のすべてにとって安定した選択肢となり、北海道米の基幹品種として定着していきます。
2000年代の北海道米は、ここでようやく安定点に到達したと言えます。
高級路線へ(2010年代)
2011年、ゆめぴりか登場します。石狩・空知・上川の条件良好地での栽培となりますが、粘りと甘みを前面に出して明確な高級戦略を狙いったお米です。
同時期におぼろづきなど低アミロース系も展開され、多様化が進んでいき、北海道米はブランド農産物へと転換したのです。
ななつぼしの成功は、北海道米にとって救いであると同時に呪いでもあります。
価格が安定し、味の外れが少なく、業務用・家庭用ともに扱いやすい。結果として「北海道米=安くて無難」という評価が全国に定着します。
これは正しい方向性ですが、ブランド戦略としては致命的でもあります。
北海道はこの段階で、ゆめぴりか、おぼろづき、ふっくりんこといった高付加価値路線の品種を前面に押し出し、「安い米どころ」から「おいしい米どころ」への転換を狙っていきます。
栽培管理は厳格化され、タンパク値管理や地域限定出荷が導入され、ここで初めて、北海道米は本州のブランド米と同じ土俵に立とうとします。
しかし、内地市場の評価は鈍かったのです。
どれだけ食味が改善されても、北海道という産地名が先に立ち、「業務用」「外食向け」「コスパ重視」というお米として消費されていきます。
ななつぼしが売れれば売れるほど、そのイメージは強化され、皮肉ですが、売れ筋が足を引っ張る構図といえます。
そして避けて通れない比較対象がコシヒカリなのです。
味、知名度、物語性、産地ブランドの蓄積。どの指標を取っても、北海道米が真正面から勝てる要素は少ない。
ゆめぴりかがいくら高評価を得ても、「北海道でコシヒカリを超えた」という話を聞いた事がありません。
結局、北海道米は勝ち方を変えたように思えます。
米としての王座を奪うのではなく、複数の優良品種を揃え、用途別・価格帯別に市場を埋める戦略。ななつぼしで量を押さえ、ゆめぴりかで評価を取り、その他の品種で隙間を埋めるような極めて現実的に。
暑さという新問題(2020年代〜)
近年、北海道における冷害リスクは明確に低下し、品種改良、栽培技術によって「北海道では米は安定しない」という前提はすでに崩れました。
ですが、問題が消えたわけではありません。
現在の最大の自然条件リスクは冷害ではなく、高温障害と品質低下です。登熟期の高温による白未熟粒の増加、タンパク値の上昇、食味の不安定化。耐冷性を軸に設計されてきた北海道米は、高温環境では必ずしも有利とはいえません。
さらに深刻なのは、人口減少と後継者不足です。北海道農業は大規模経営が多く、1経営体あたりの作付面積が大きい。その分、担い手が抜けた時の影響は致命的です。
味が良くても、品種が優れていても、作る人がいなければどうにもなりません。
そこに重なっているのが、生産調整政策の継続です。
2018年に「減反廃止」が宣言されたのですが、実態として生産調整は終わっていません。
転作補助金、水田活用交付金、需要見通しに基づく作付誘導。制度の名前が変わっただけで、水稲作付を抑制する仕組みは現在も維持されています。
この制度下では、水稲を作れる地域であっても「作らない方が合理的」な経営判断が成立してしまい、水稲作付面積が長期的に減少しています。
作れるのに作らないのではなく、作らせない構造になっているのです。
この歪みは、市場でも露呈しました。
2025年、全国的な米不足を背景に米価が急騰し、2026年に入ると状況は反転します。
実際の供給不足以上に、「在庫がなくなる」という恐怖が企業や流通業者の買い占めを誘発していたことが明らかになり、結果として米余りが発生します。
国的に価格が下落していくなか、北海道米の価格は下がりません。正確に言えば、下げられないのです。
推測に過ぎませんが、北海道米は「安くて無難」という評価の上に価格が組まれており、下落局面での調整余地が小さく、これ以上下げれば採算が崩れるのでしょう。
一方で、ブランド米として価格を上げたままにするだけのブランド力も弱く、結果として、全国市場が変動する中で、北海道だけが価格硬直を起しています。
試される大地とお米
こすいた局面に、北海道は対応できません。それは能力の問題ではなく、構造の問題でしょう。
北海道は大規模産地であり、作付面積が広いだけに関係者が多く、意思決定に時間がかかります。
価格が動いても、制度が変わっても、現場に浸透するまでにタイムラグが生じます。
対応できなかったのではない。対応できないようにできているのではないでしょうか?
これは米だけの話ではない。
北海道では、農業、漁業、観光、流通、どの分野でも同じ事が繰り返されていると感じます。
北海道米の歴史を振り返ってわかるのは、適応の連続です。
冷害に適応し、制度に適応し、市場に適応し、その結果、残った地域と品種が現在を構成してきました。
その分、北海道は強いのですが。だが重いのです。
今後の北海道米の行く先を見守りつつ、筆をおきます。
※画像はイメージです。


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