かつて北海道に県があった?!

北海道は、ご存じのとおり日本で1番大きな島。
その大きさは、日本の面積の約5分の1にあたるそうで、四国と九州を合わせたくらいとか、関東地方が2つ入るなどよく聞きますよね。
北海道という1つの都「道」府県の中に、普通の県がいくつも入るくらいの広さなのです。

そして隣の都道府県と接していないため、道民は本州に行くと「県を跨いで移動している!」と新鮮な気持ちになるそうですよ?!
今回は、この大きな北海道に、実は「県」が存在していた?!というお話です。

目次

北海道にあった県とは?

実は、明治15年(1882年)開拓使の廃止にともない廃使置県が行われ、「函館県」・「札幌県」・「根室県」の3つの県が設置されました。

当時の北海道開拓三大拠点だった所です。
なぜ根室かというと、千島とのつながりにおいて重要な拠点で、道東では最も重要な都市だったためです。

県の範囲は、北海道を縦に三等分したような形で、それぞれの領土は以下の通りです。

「函館県」・・・現在の渡島・檜山両支庁、後志支庁南部
「札幌県」・・・現在の石狩・空知・上川・日高・胆振・留萌・宗谷・十勝と後志の一部
「根室県」・・・現在の根室・釧路・網走・十勝の足寄郡・千島

しかし、わずか4年後の明治19年(1886年)に北海道庁が設置され、この3県は廃止となります。
北海道開拓使が置かれる前には、なんと「箱館府」もあったのです。

また青森県に属していた地域もありました。それは旧松前藩の一部で、明治4年(1871年)青森の弘前県に併合されました。
その後、弘前県は青森県になり、明治5年に(1872年)北海道に戻りました。

北海道はなぜ「北海」と省略しないのか?!

この3県の廃止と同時に設置された「北海道庁」が、後の「北海道」にあたります。
例えば、東京を管轄するのは「東京都」、大阪は「大阪府」となります。

北海道の場合は、北海を管轄する「北海道」ではなく、北海道を管轄する「北海道庁」だったわけです。
昭和22年(1947年)に地方自治法が施行され、「道」は他の「都府県」と同格の地域の区分になりました。

つまり「北海道」は元から1つのものなので「北海」とは省略しないのです。

なぜ「道」なのか?!

ところで、なぜ北海「道」だったのでしょうか?

明治2年(1869年)、蝦夷地探検家の松浦武四郎により「北海道」と名づけられました。
名前を付ける際に、五幾七道(東海道・東北道・北陸道・山陰道・山陽道・西海道・南海道)に類した候補が挙げられました。

日高見道・北加伊道・海北道・海島道・東北道・千島道の6つの候補の中から、読みは「北加伊道(ほっかいどう)」が選ばれ「かい」を「海」の漢字にしてにして「北海道」となったそうです。
五幾七道の「道」の中には「国」が何個も含まれており、北海道も元は11個の国から成り立っていることから、広いという意味での「道」であったのかもしれませんね。

おわりに〜確かに県が何個かあっても不思議ではない?!

いかがでしょうか?
北海道に「県」があったとは、びっくりですね。
でも、四国のように1つの島に何個か県があっても、確かに不思議ではありませんよね。

実際、北海道には14の振興局があり、道庁の支店的な役割を果たしています。
天気予報も振興局別にでたりしますし、つまり県みたいなものですね。
この振興局や道央、道北などの地域を越えると、天候の他にも風習や食文化もがらりと変わったりもします。

そう考えると、つくづく北海道は広いなぁと感じますね。

ですから、北海道の人が本州へ行くと
「狭い範囲内にたくさん観光地がある!」
「いつの間にか県が変わってた!」
などと感じるそうですよ。

本州からの観光客が北海道で距離感がバグるのと同様に、道民たちの本州観光あるあるかも知れませんね!
ぜひ、北海道の「広さ」も楽しみに、ぜひ遊びに来てくださいね!

※画像はイメージです。

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