北大人骨事件を解説

1995年、北海道大学で、段ボール箱に入れられた6体の頭骨が発見されました。
きっかけは部屋の整理整頓。
4体は関係者へひき渡されるも、2体は返還先が不明のまま。

遺骨はなぜ大学に保管されていたのか?
頭骨の正体とは?  

人間の尊厳に迫った「北大人骨事件」を考察していきます。

目次

事件の概要

1995年7月26日、北海道大学文学部にある古河講堂8番室(のちに101号室へ改名)で、6体の頭骨が発見されました。
発見したのは、考古学教室の教授・助手・研究生・大学院生などです。

彼らは、同年3月に退職した元教授の吉崎昌一氏の荷物を片付ける目的で部屋を掃除していると、段ボール箱から、新聞紙に包まれた頭骨が出てきます。

6体のうち1体には、墨で「韓国東学党」。
3体は、「オタスの杜風葬オロッコ」。
残る2体には、それぞれ「日本男子20才」「寄贈頭骨出土地不明」と張り紙がありました。
しかし当初はなぜか「人骨ではない」と判断され、段ボール箱へ戻されたのです。

ところが、翌日になって盗難騒ぎが発生。
段ボール箱ごと持ち出した犯人は、なんと掃除に参加したアイヌ民族の男性。
彼は「アイヌ・モシリの自治区を取り戻す会」の代表に求められて実行しました。

代表は男性から話を聞き、「もしかしたら本物の頭骨では」と感じたそうで、そして実物を見て確信を持ち、「カムイノミ」と呼ばれるアイヌ民族の供養を行いました。
一部は大学へ返却され、「北大人骨問題の真相を究明する会」も立ち上げられます。

なぜ頭骨が大学に?

北海道大学は1939年~1956年まで、研究名目で1,004体に及ぶアイヌ民族の遺骨を収集していました。
一部報道によれば2,000体~3,000体と言われていますが、実際のところはわかりません。
いくつかは遺族に無断で発掘し、絶滅した動物と同列に並べて保管していたのですが、非難が集まり、1984年に納骨堂が建てられ供養されました。

当時、現役だった吉崎教授は、前任者である助教授から段ボール箱をひき継ぎました。
けれど、細かく確認したわけではなく、新しい頭骨だったことから、研究対象としては除外され、受け取ったまま放置したようです。

おそらく本人もすっかり忘れていたのでしょう。
それが退職後に部屋を片付けられて、日の当たる場所へ出てきたのです。

頭骨の身元は?

「韓国東学党」と記された遺骨は、19世紀末から20世紀初頭に活動した宗教団体・東学党のリーダーのものです。
日本は1910年から1945年まで朝鮮半島を植民地としており、それに抵抗して犠牲となったようです。
遺骨の収集には札幌農学校の卒業生も関与していたとされ、こうした歴史的背景を踏まえ、北海道大学は韓国に遺骨を返還した。

「オタスの杜風葬オロッコ」と記された遺骨は、サハリンの先住民族であるウィルタに属するものであります。
日露戦争後、日本の支配下に置かれた地域で生活していた原住民の遺骨で、こちらも歴史的事情を考慮してロシア・サハリン州に返還されました。

「日本男子20才」と記された遺骨は、網走刑務所の受刑者だった可能性があるとされました。
これはあくまで推測であり、確定された事実ではありませんが、北海道新聞社から出版された「網走刑務所」に掲載された証言が手がかりとなります。
1941年から戦後まで網走刑務所に勤務した嘱託医によれば、刑務所内で死亡し、引き取り手のない遺体は裏の墓地に埋葬されたといいます。しかし、一部の遺体は掘り起こされ、頭蓋骨や脳の構造を観察する目的で使用されたこともあったようです。
これらの遺体は1934年から1939年にかけて収集されて、犯罪者や障害者の遺伝的優劣を研究する資料として用いられたといいます。戦後の混乱により記録の正確さは保証されないものの、20歳前後の男性受刑者が身寄りもなく裏の墓地に埋葬されて、研究対象となった可能性は充分に考えられます。

「寄贈頭骨出土地不明」と記された遺骨に関して、出自は不明ですが、アイヌ民族である可能性が指摘されました。返還先は未定で、現在は苫小牧市の大乗寺に仮安置されています。

遺骨の返還問題

大学は、遺骨収集に関して謝罪しませんでした。
もちろん収集したのは当時の人間であり、現在の関係者ではありません。

遺骨の取り扱いに関しても、「適切なものではなかった」と認めていますが、盗掘した証拠は存在しておらず、それを示す資料もありません。
責任の所在がはっきりしない事もあって、一貫して謝罪を拒んでいたのです。
しかし、2016年の訴訟で、大学側が遺骨を返還して埋葬費用を負担することで和解。
このとき和解されたのは16体分で、身元不明の遺骨に関しては受け皿となる団体へ託されました。

「一緒に謝罪しましょうよ、なぜ謝罪できないんですか?人間がこんなふうに扱われて良いはずがない」

そのあと文学部准教授 丹菊逸治氏の言葉に賞賛も寄せられました。
しかし、今もなお、すべては解決していません。

事件の顛末

こうして返還や仮安置の手続きが進む中で、文部科学省は遺骨の返還手続きに関するガイドラインを制定し遺骨返還の手続きや指針の整理を行いました。
遺族の意向を尊重しつつ、法的・行政的手続きに基づいて慎重に対応することが求められ、返還は申請や審査を経て行われることになりました。

今回明るみに出た事例以外にも、似たような遺骨がまだどこかの大学に眠っている可能性は否定できません。
死してなお、時代に翻弄された人々のことを思い、心よりお悔やみ申し上げます。

※画像はイメージです。

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