真狩村一家6人惨殺事件

真狩村の富里で6人が命を奪われ、2人が重傷を負う事件が発生しました。
目撃者が証言したジャンバーの男は何者なのか、誰もが想像しなかった犯人の正体とは?

のどかなで農村で起こった悲劇「眞狩村一家6人惨殺事件」の真相を考察していきます。

目次

事件概要

1959年6月4日、虻田郡真狩村の静かな農村。
午後11時過ぎ、当時17歳だった横内則子さんは夜間学校から帰宅し、家の扉を開けると目の前に信じがたい光景が広がっていた。

玄関に、使用人として働いている佐藤栄が倒れ、その傍らに次女の久美子ちゃんがうめき声をあげて横たわっている。
2階へ駆け上がると、父親、母親、祖父、三女、四男、四女の6人が倒れ、すでに絶命していた。
そうしたなか、長男の和明くんは自室で眠っており、奇跡的に無事だった。

則子さんは恐怖の中、急いで駐在所へ知らせ、近隣住民の協力と共に佐藤と久美子ちゃんを病院へ運んだ。
治療の結果、二人は命を取り留めた。医師によれば、二人の傷は斧のような鈍器によるものと判断された。

余談だが、次男は八雲町の病院に入院しており、三男は親戚の家へ遊びに行っていたため難を逃れた。

初動捜査と手がかり

佐藤さんは事件直前、馬小屋にいていたが、悲鳴を聞いて駆け付けると、いきなり殴られ昏倒。
意識のあった久美子ちゃんと同様に「青いジャンパーを着た若い男がやった」と証言した。
タンスの引き出しが荒らされていたこともあって、捜査本部は物取りの犯行とされたのだが違和感を感じたのだ。

佐藤の頭部の傷は他の被害者と比べてあからさまに浅く、全治1週間程度の軽傷であり、本人が自分でつけることも不可能ではない位置にあった。
またシャツに付着した血の量は大量なのに反して、輸血を必要とするほどのものではない。
つまり、血は佐藤自身のものではなく、返り血の可能性が高い。

これらの点から捜査本部は、佐藤栄が犯人ではないかと捜査を始めた。

そうした中、久美子ちゃんも当時の記憶を思い出したのか、あるいは佐藤さんの威圧感に恐怖して嘘をついたのか、証言を訂正する形で「佐藤が気が狂ってやった」と話すようになった。

佐藤を事情聴取すると犯行を認め、驚くべき動機も明らかになったのだ。

犯人の動機

佐藤の犯行動機は、横内一家への深い憎しみで、誰もが思いもよらないものだった。
二年前、養子として迎え入れられることを前提に使用人として同居したが、期待した家族の温かい扱いはなかなか得られなかった。
供述によれば「働かされるばかりで日常的に冷遇された」と感じ、彼だけが別扱いされる日々に孤独と憤りを募らせたという。
その積もり積もった感情が理性の枷を外し、幼い子供や祖父母まで手にかけるという惨劇へとつながった。

彼を追い詰めた要因のひとつには、生い立ちがあったと考えられる。
詳細な資料は乏しいが、父親は視力を失い、シングルファーザーとして佐藤を育てたという。この情報が正しければ、幼い頃から家計を助けるために働かされ、親からの愛情も十分に得られなかった可能性がある。

一方、横内一家は農業を営み、長男がいるにもかかわらず養子を迎える余裕があった。
佐藤は豊かで温かい家庭生活を思い描いていたのだが、現実は「養子」という肩書きを与えられながら、使用人のような扱いを受ける生活であり、望んだ家族との関係とは大きく異なった。
こうした経験が、猜疑心や不満、孤独感を募らせる一因となった。

しかし、それは佐藤が勝手に思い込んでいた妄想なのかもしれない。
横内一家にしてみれば、決して邪険にしたつもりはなく、差別ではなく単なる区別だった可能性もある。
佐藤自身も、幼少期の経験から心を開くことをためらい続けていたのかもしれない。

物取りを装い、幼い子供までも手にかけ、さらには被害者を装うために自らを傷つける。そこまで計算された行動を取る人物。
そう考えれば、内面に歪みがイビツだとしても不思議ではない。

事件の結末

佐藤は、事件後に精神鑑定を受け、「心神耗弱」と診断され、本来であれば極刑をもって償うべき凶行も、1962年に無期懲役で刑が確定することとなった。

父親は息子の行為に驚きを隠せず、村人や横内一家に謝罪しつつ、息子には法に従い潔く罪を償うことを望んだ。
この話からすれば、不幸な境遇の中でも父親はできるかぎりの愛情を注いだように思えるのだが、佐藤は愛情が十分に感じとる事ができなかったのだろう。
内向的でひがみっぽい性格だったという話残っている。

温かくも厳しい横内一家に溶け込めず、自分だけが差別されていると誤解し犯行に及んだ、いわばいた悲劇だ。
心の闇の深さと爆発を垣間見た事件である。

亡くなった6人のご冥福をお祈り致します。

今回ご紹介した「眞狩村一家6人惨殺事件」については、事件の発生そのものは複数の資料で伝えられていますが、細かな経緯や動機、裁判の詳細などは当時の新聞記事や公的な記録で確認できていません。
そのため、本記事にはライターによる考察や後年の伝聞をもとにした推測が含まれています。史実と異なる部分がある可能性がある点をご理解ください。

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