仲の良い同級生たちと、小樽へ観光旅行に行くことになりました。
みんなで観光サイトを見ながら、田中酒造や三角市場など定番のルートを中心に、旅行のプランを立てていたときのことです。
その中でふと目に入ったのが徳源寺の「坐禅体験」。
宗教的な理由があったわけではありませんが、坐禅に頭の中が整理されてすっきりする感じや、日常の慌ただしさから少し距離を置けるよう効果があり、どこか心地よいものだと雑誌で紹介されていたのを思い出しました。
それで「お寺で坐禅体験、ちょっと行ってみない?」と軽い気持ちで提案してみたところ、意外にも全員がすぐに「いいね」と賛成してくれたのです。
徳源寺の由来
小樽の町を巡ったあと、いよいよ坐禅体験のため徳源寺へ向かうことになりました。
その前に、少しだけ徳源寺について触れておきます。
徳源寺は1862年(文久2年)、蝦夷地・塩谷村に創建された曹洞宗のお寺です。もともとは今の場所ではなく海側の吉原付近に建てられ、その後、明治期に現在の山側へ移されたといわれています。
このお寺の背景には、北前船の海運やニシン漁といった当時の地域の暮らしがあります。蝦夷地の沿岸は海産資源の集積地でもあり、船主や漁業に関わる人たちが海の安全を祈る場所としてお寺が大切にされていました。船絵馬なども残っていて、地域の生活としっかり結びついていたことがうかがえます。
私たちはバスで徳源寺へ向かいました。お寺のすぐ近くで停まるので分かりやすい。
JR函館本線の塩谷駅からも徒歩圏内にあるので、電車でもアクセスしやすい位置にあります。
いよいよ坐禅体験
私を含め友人全員が、神社やお寺にあまり縁がなかったこともあり、少し緊張しました。
ただ、同世代の住職と奥様が自然な雰囲気で迎えてくださり、その緊張もすぐに和らいでいきます。
まずは本堂や龍神堂、境内の歴史や見どころについて簡単な説明を受け、その後いよいよ坐禅体験へ。
参加人数が多かったため、本堂の壁を正面にするグループと、庭を正面にするグループに分かれての実施となりました。
その後、坐禅について簡単な説明を受けてから本番です。
坐禅では「結跏趺坐(けっかふざ)」という足を組む姿勢が基本になりますが、身体が硬い私はうまくできず、「半跏趺坐(はんかふざ)」にも挑戦したものの断念。
最終的には、あぐらの状態で片足を軽く乗せる形に落ち着きました。
手は「法界定印(ほっかいじょういん)」という形に整えて、全体の姿勢で安定した形をつくるようにします。
実際に座ってみると慣れない姿勢で体のあちこちが気になり、足も痛い、思った以上に集中できません。
呼吸を整えようと集中した結果、隣の友人から「鼻息がすごい」と言われてしまい、思わず笑ってしまう場面もありました。
「浮かんだ煩悩は追いかけず、手放す」という教えは想像以上に難しいもので、次々と浮かんでくる煩悩にとらわれてしまいます。
ただ座っているだけなのに、なかなか上手くできず、坐禅の深さを実感しました。
座禅を繰り返すと
これをきっかけに坐禅に少しずつ興味を持つようになり、その後も何度か体験するうちに、気づけば何回も参加するようになっていました。
回数を重ねるごとに、浮かんでくる考えにあまり引っ張られずにいられる時間が少しずつ増えてきたように思います。いわゆる「すっきりする感覚」のようなものを感じる瞬間もあり、少しずつ坐禅という時間の質に慣れてきた印象です。
最初は壁を正面にして座っていましたが、あるとき庭側を向いて坐禅をしたときには、風や鳥の声、葉の揺れなど、思っていた以上にいろいろなものが入ってくることに気づきました。
坐禅において、壁を向くか庭を向くかといった違いは、実際にはそれほど本質的な問題ではないのかもしれません。音が少ないか多いか、視界が単調か動きがあるかといった環境の差はありますが、それ自体が坐禅の良し悪しを決めるものではないと感じます。
大事なのは外の状況そのものというよりも、それに対して自分の意識がどう向いているかという部分です。静かな環境でも頭の中はいろいろ動きますし、逆に周りに変化があっても、それに過剰に引っ張られずにいられることもあります。
坐禅は「浮かんだ煩悩を追いかけずに手放す」というよりも、起こってくることをそのまま追わずに見ている時間なのかなと、今はそんなふうに感じています。
※画像はイメージです。


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