明治時代になり本格的に始まった北海道開拓ですが、それを技術的、経済的に支えたのは「石炭」「鉄鋼」「港湾」と言われています。「空知エリア」「室蘭」「小樽」はその要となり、街と街をつなぐ「鉄道」の充実も、語る上では外せません。
ここでは、それぞれの基幹産業や鉄道発展のストーリー「炭鉄港(たんてつこう)」ついて、5回に分けて深掘りしていきます。
炭鉄港の石炭〜日本最大規模の産出地「空知」
「空知」とは道央エリアにある、24市町からなる地域。中でも、炭鉱の街として発展した「夕張」「美唄」「芦別」「赤平」「三笠」「栗山」「沼田」は炭鉄港の歴史に深く関わる都市です。
北海道の石炭採掘が始まったのは幕末からとされていますが、鎖国体制が終わりを告げると箱館(現函館市)をはじめとする日本各地の港が国際貿易の拠点として開港。そうなると、船舶の燃料である「石炭」の供給は新政府にとっても重要な課題です。北海道ではかねてから各地で石炭の存在が確認されており、明治初期に開拓使が設置されると、アメリカの鉱山学者で「お雇い外国人」のベンジャミン・スミス・ライマンが北海道一円の地質調査を実施。その結果、日本最大規模となる空知・夕張炭田を擁する石狩炭田を発見しました。
特に幌内(現当別町)周辺の豊富な石炭埋蔵量に着目した開拓使は開発を推し進め、明治12(1879)年に「幌向炭鉱」が。空知エリアでは夕張や美唄、赤平などで炭鉱が次々と開坑します。明治15(1882)年には、石炭輸送を支えるために官営の「幌向鉄道」が手宮(小樽)から幌内(三笠)までの鉄路を全通。さらに明治25年(1892年)には岩見沢から室蘭までの鉄道が延伸されました。鉄道が国有化されると本州の財閥系企業も相次いで進出し、炭鉱開発は一層活発化することとなります。
北海道随一の炭鉱の町・夕張市には、明治23(1890)年に夕張炭鉱が開坑。最盛期には年間400万トンを出炭し、11万人を超える人口を誇りました。空知炭田の中核として「炭都」とも呼ばれていました。
炭鉄港の鉄路〜輸送の要衝「岩見沢」「安平」
同じく空知エリアにある「岩見沢」「安平」は陸上交通の要衝として発展しました。
明治15(1882)年に幌内鉄道が開通すると、未開の地だった岩見沢に開拓の光が差し込みます。明治23(1890)年には岩見沢〜夕張間をつなぐ石炭輸送道路「夕張道路」が開通。翌年に岩見沢〜歌志内間、さらに翌年には岩見沢〜輪西(室蘭)間の鉄道が開通し陸上交通の要衝として知られていきます。その後も周辺地域では炭鉱がぞくぞくと開坑し、その輸送のために岩見沢はハブ駅として発展していきました。また、明治38(1905)年には栗沢村(現岩見沢市栗沢町)に万字炭鉱が開坑しています。
安平町は明治25(1892)年に岩見沢〜室蘭間の鉄道が開業すると、追分駅に機関車の格納庫や機関区が作られました。室蘭本線と石勝線の交差する地点でもあり、石炭を室蘭方面に運ぶ拠点として発展。鉄道関係者が多く定住し、多いときには60台以上の機関車が格納されるという道内でも最大クラスの機関区とされていた時代もあります。それに伴い商工業は大いに発展し、明治の終わり頃には人口は1万人を突破しました。
炭鉄港の港湾〜特別輸出港「小樽」、鉄のまち「室蘭」
江戸時代まで道南に限られていた商船の通行は、札幌に開拓使が設置されることで小樽にまで広がります。当初はニシンなどの輸出が中心でしたが、空知で石炭が発見され鉄道が開業すると、その特別輸出港にも指定されました。明治30年代には北海道の玄関口として、また随一の経済都市として大発展。古くから商港として知られていた神戸や横浜に肩を並べるほどの重要港湾、北海道経済を支える拠点として知られるようになりました。
室蘭には明治5(1872)年に港が開港。札幌を結ぶ札幌本道(現国道36号の前身)が完成しました。しかし車はおろか馬車も普及していなかったことから、ほとんど活用されなかったとか。一方、明治25(1892)年に岩見沢・室蘭間の路線が開設すると、空知で産出された石炭の積み出し港として大いに活用されることになります。さらに街では、石炭を燃料に鉄鋼を製造する「日本製鋼所」や、現在の「日本製鉄」の前身にあたる「北海道炭礦汽船(ほっかいどうたんこうきせん)」の製鉄所が設立。「鉄のまち」として知られるようになりました。
炭鉄港による「産業革命」〜各都市を結ぶ鉄道網
石炭の豊富な産出地である「空知エリア」、国際的な港湾都市「小樽」、鉄鋼業の中心地「室蘭」。そして、各地域をつなぐ鉄道網は北海道の経済発展と近代化に著しい影響をもたらし、その後「産業革命」として語り継がれるほどの重要な役割を果たしました。明治時代の初めから100年ほどの間に、北海道の人口は驚異的な100倍の成長を遂げたほどです。
しかしながら、現在ではエネルギー需要の変化により、これらの地域の隆盛が大部分を失ってしまいました。それでも、産炭地にはかつての栄光の名残が色濃く残り、この歴史的な遺産を活かした地域振興や観光産業が盛んに展開されています。
これらの事情を理解することで、北海道の歴史と未来が交わる地域の役割や、その遺産を生かした新たな展開をより深く考えることができるでしょう。次回は「石炭」にスポットを当て、さらに深掘りした内容をお送りしていきます。
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