北海道の先住民族であるアイヌには、多くの民話が伝わっています。文字を持たないアイヌの人々は、言葉によって数々の物語を語り継いできました。
アイヌの口承文芸は、一人称で語られるのが特徴で、神(カムイ)自身が語り手となって自分の体験を語っているものもあり、それを「カムイユカㇻ(神謡)」というそうです(地域によって呼び方が違うそうですが)。
アイヌの口承文芸は、当然のことながら、アイヌ語で語られてきました。今、私たちがそれらを知ることができるのは、日本語に訳されたアイヌ民話集が存在するおかげといえるでしょう。
これらの民話を収集し、記録することに尽力してきたのが、政治家でありアイヌ文化研究者でもあった萱野茂さん(1926-2006)です。
絵本でよみがえるアイヌの物語
アイヌ民族初の国会議員となる萱野茂さんは、アイヌ語を母語とするおばあさんに育てられたといいます。たくさんの物語を、おばあさんから聞いて大きくなったのかも知れません。
やがて、アイヌ文化研究者としてアイヌ文化の保存と継承に務めた萱野茂さんは、民話集など多くの著書を残されました。その中には、子ども向けに書かれた絵本もあります。今回は、そんなアイヌ民話の絵本から「風の神とオキクルミ」をご紹介したいと思います。
イタズラ好きな神と人間を守る神
物語は、神の国に住む、風の女神「ピカタカムイ」がイタズラ心を起こしたところから始まります。
ピカタカムイは、人間の女がするように刺繍をして暮らしていたのですが、アイヌの村で人々が楽しそうに暮らしているのを見て、おどかしてやりたくなりました。そして「風おこしのまい」「あらしのまい」を舞って、村に風を送るのです。ただの風ではありません。海は大波を起こし、村をのみこんでしまいます。風は、6日もの間、ずっと荒れ狂い、村は消滅してしまいました。
ところが、一軒だけ、吹き飛ばされることなく残っていた家があったのです。それを見たピカタカムイは、もう一度風を起こしますが、その家はびくともしませんでした。その後、村が元通りになっているのを目にしたピカタカムイは、再び風を起こして村を消滅させてしまいます。しかし、あの家だけは吹き飛ばされずに残っているのでした。
それからまもなく、ピカタカムイの家にアイヌの若者が訪ねてきます。若者はピカタカムイの前で舞い踊ります。すると、ピカタカムイの家は壊れ、ピカタカムイも大きな傷を負ってしまいました。実は、その若者はあの1軒だけ残った家に住む若者でした。彼は「オキクルミ」といい、神の国からアイヌの国へ行った、力と知恵のある若者だったのです。オキクルミは、イタズラ好きなピカタカムイをこらしめるためにやってきたのでした。
人間くささのあるアイヌの神々
それにしても「神」と名のつく者も、こんなイタズラをするのですね。「おどかす」ためだけに大きな被害をもたらすピカタカムイのイタズラにはぞっとさせられます。
アイヌの人々は「神」に対して独特の考えを持っているとのこと。人間と神は対等で、神だからといって、絶対的な力を持っているわけではないようです。
神の中にはピカタカムイのような悪い神「ウェンカムイ」もいれば「オキクルミ」のように人間たちのそばにいて守ってくれる存在(「アイヌラックル」というそうです)もいるのだとか。どちらも、どこか人間くさく思えます。
ところでこの風の神「ピカタカムイ」は、山を越えて吹いてくる風「山背」のことだそうです。自然の脅威を前に、なすすべを持たない人間のはかなさを思います。しかし、オキクルミという守護神がいることで、災害を起こす神を叱ってくれる。何て心強いことでしょうか。
オキクルミにこらしめられたピカタカムイは、その後どうしたのか。ピカタカムイは、それからはオキクルミの住む村へは強い風を送らなかったということです。そう語っているのが、ピカタカムイ自身というところが面白いですね。
絵本で知るアイヌの世界
「風の神とオキクルミ」を彩る斎藤博之さんの絵は、美しく、生き生きとしています。ピカタカムイの舞や荒れ狂う風は躍動感があり、オキクルミなどは見るからにたくましい青年に描かれています。村の人々の様子も、楽し気な声が聞こえてきそうです。
なかなかなじみのないアイヌの民話の世界ですが、絵本を開くことで、足を踏み入れやすいのではないかと思います。
観光地として人気の高い北海道ですが、そこにはアイヌの文化が根づいていることを、絵本を通して知るきっかけになるのではないでしょうか。
オキクルミはアイヌ神話の英雄で、他の民話にもしばしば登場するそうです。
オキクルミが活躍する別の絵本も、またご紹介できればと思います。
(C) 萱野 茂、斎藤 博之 小峰書店
\ コメントくださ〜い /