天皇陛下が来られる!?明治の室蘭整備急げ

明治政府が推し進めた北海道の「開拓使10年計画」最終年(1882年)の1年前。開拓長官黒田清隆は、明治天皇に成果を披露するため、道内入りを計画した。ルートには、旧仙台藩の支族石川家が開拓した室蘭を通る札幌本道も含まれている。「陛下に失礼があってはならない」。一大行事を前に先人たちは、急ピッチで道を整備した。この道は現在、国道となり、室蘭の経済を支える大切なインフラとなっている。

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 数百人で作業

札幌本道は、札幌〜函館をつなぐ約180キロの馬車道である。開拓使顧問ケプロンの助言を受け、政府が開削を進めてきた。

戊辰戦争に敗北し、旧領をほぼ没収された石川家。重臣添田龍吉らを中心に、室蘭での開拓に再起をかけてきた。1881年(明治14年)、明治天皇の巡幸ルートに室蘭を経由する札幌本道が含まれた。龍吉らはこの一大行事を成功させるべく、街道の整備を決める。この年は石川家の旧領角田から移住者第2陣が入ってきた年である。新たな仲間を得た一方、道は整備が行き届いているとはいえない状況であった。

室蘭市民俗資料館(室蘭市陣屋町)には、当時整備に使われた石製のローラーが屋外で常設展示されている。このローラーは、幅1メートル超。龍吉らが「陛下がお乗りになる馬車が揺れては失礼だ」と考え、室蘭に向かう約8キロメートルを数百人でならした。脇には、支柱を挟んだと思われる直径10センチほどの溝がある。並の力ではびくともせず、馬に引かせて使ったらしい。

案内役も担当

9月4日、札幌などの視察を終えた明治天皇が来蘭する。案内役は石川家の家臣らが務め、天皇の車引きには40人の若衆が奉仕したという。一行の指揮をとったのは龍吉の実弟で、後に栗山町開拓の祖になる泉麟太郎。麟太郎は「天皇に尻を向けるのは失礼」として後ろ向きに歩いて指示を出したと伝わる。 一行は随所で休憩をとりながら進んだ。日鋼のご神体が祀られている御傘山神社(御前水町)では、天皇に近くの湧き水が献上され、褒められたという。この水は「天沢泉」と名がつき、自由に飲用できないが、現在も同神社で湧き続けている。このほか、室蘭港で軍艦が祝砲を鳴らしたり、明かりが灯されるなどまちは歓迎ムードに包まれた。

現在は国道に

龍吉らが整備した札幌本道の一部は、現在国道や旧札幌通りとの呼称で市民らに親しまれている。コンクリートで舗装され、馬車道を石製ローラーでならした名残はない。室蘭市民俗資料館の屋外展示さえ、館長らから解説がなければ、素通りするほどである。(筆者は縁あり当時の館長から解説を受けた)

ただ、札幌本道はまぎれもなく今日の国道の礎である。この道がなければ、室蘭はおろか北海道の物流は、大きく滞るであろう。その一部が室蘭にあり、開拓に携わった先人たちが整備や案内に関わったことで、「敗軍」の彼らに武士の誇りを少しでも取り戻させたのではないだろうか。室蘭ではその後、屯田兵も入り、開拓は一層進展。「てつのまち」の礎を築いた。

歴史ある建物やご当地グルメだけではなく、道路など何気ない部分に目を向ける旅行も良いであろう。

※写真はイメージです。

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