2007年、食肉加工卸業「ミートホープ」社が、食品偽装をする事件が発生しました。
内部告発者が行政機関へ伝えるも調査は行われず、新聞社による冷凍牛肉コロッケのDNA検査で事実と判明。
警察は本社を家宅捜査し、社長の指示で行われた数々の偽装も明るみになります。
行政はなぜ動かなかったのか、社会へ与えた影響はどのようなものだったのか。
この記事では、世間を騒がせた「ミートホープ偽装の闇」へ迫ります。
なにが起きたのか?
2007年6月20日、朝日新聞の報道で北海道苫小牧市に本社を持つ食肉加工卸業「ミートホープ」社が、牛肉ミンチの品質表示偽装をきっかけに自己破産。
2008年3月19日、社長だった田中稔(当時69歳)が「不正競争防止法違反容疑」で逮捕・起訴され、詐欺罪で懲役4年の実刑判決を受けました。
事件が発覚したきっかけは、常務取締役 赤羽喜六さん(当時72歳)の告発です。
赤羽さんは社長へ食肉偽装を辞めるよう何度も申し入れましたが、聞き入れられず田中によるワンマン体制を継続。
そのため匿名で保健所および農林水産省北海道農政事務所へ告発するも、「確実な証拠がないから」という理由で調査されません。
そこで2006年4月同社を退職。
身分を明かし農政事務所へ実物を提出しましたが、受け取り拒否で保健所にも詳しく調査されませんでした。
さらに北海道新聞とNHKも相手にせず、2007年春、朝日新聞の調査でようやく食品偽装が明るみになったのです。
偽装された内容の一部は・・・
- 牛肉100%と表示したひき肉に(豚肉・鶏肉・豚の心臓・パンの切れ端)などを混入
- 賞味期限を改ざんして再販売
- 家畜の血液を入れて着色
- 牛脂に豚脂を混入
- 雨水で冷凍品を解凍
- 食中毒の原因菌が含まれる過熱加工品を販売
田中は不正に気付いた取引業者からの返品に対し、手違いと弁明。
そのあと保険会社へ保険金を不正に申請し、賠償金を受給しました。
赤羽喜六さん
赤羽さんは長野県で生まれました。
上伊那農業高等学校を卒業したあと、法務省長野地方法務局飯田支局に勤務。
その後は株式会社三協精機製作所(現在の日本電産サンキョー)へ入社し、関連会社の常務取締役を歴任します。
1978年野口観光株式会社に転職して常務取締役を務めたあと、苫小牧プリンスホテルや室蘭プリンスホテルの総支配人へ。
ミートホープ社にスカウトされたのは、60歳でホテルを定年退職したあとです。
田中稔の経歴
創業者の田中は、北海道中川郡音威子府村の農家に生まれました。
音威子府村は、北海道で最も人口の少ない村。
彼は6人兄弟の次男として育ち中学を卒業したあと、隣接した美深町にある精肉店で住み込みの下働きとして働きます。
そこで7年間の修業を積み、名寄市にある精肉店へ転職。
3年後には、苫小牧市の精肉店「成田屋」へ再転職しました。
成田屋は、業界大手の精肉店です。
技術スキルや経営手法を学びながら12年働き、37歳で常務取締役へ昇進。
そして38歳で独立して、ミートホープ社を創業します。
1991年7月、連結子会社となる「株式会社バルスミート」を設立。
4年後の1995年には、バイキングレストランを運営する「株式会社イートアップ」を設立しました。
長男と次男に子会社を任せ、三男にはミートホープ社の専務取締役を与えたのです。
なぜ不正に手を染めたのか?
それはズバリ!バブル崩壊後の価格競争による取引減少。
その穴埋めとしてコストダウンに踏み切るため、食品偽装という罪を指示したのです。
つまり会社と自分の利益を優先させた。
社員は知っていましたが、社長の命令には逆らえません。
当時の赤羽さんは工場と異なる部署で働き、不正に気づくまで長期間を要したのです。
行政はなぜ動かなかったのか?
それは保健所と農政事務所が、「監視業務は我々の仕事ではない」と受け取っていたからではないでしょうか。
例えば食品表示の確認は、独立行政法人「農林水産消費安全技術センター」で行われます。
そのため運営費交付金は少しずつ削減され、業務拡大も難しい状況だった。
本来であれば農政事務所は消費安全技術センターと連携すべきですが、そこに至るまでの発想もなかったのでしょう。
保健所に関しては、食中毒ではないため調査方法に問題があったのかもしれません。
事実、情報提供を受け3回立ち入っていますが、ミートホープ社の不正は見抜けませんでした。
これらは「食肉偽装問題に関する質問主意書」として、2007年7月4日の国会でも議論されています。
しかし、質問に対する回答も曖昧な状態。
担当者は弁明したようですが、はっきり納得できる答えは明かされていません。
おそらく行政に詰め寄っても、マニュアルで決められたとおりの回答しか得られないでしょう。
「決められた業務範囲に含まれない」「自分達の役割ではない」という考えが反映され、赤羽さんの告発も軽くあしらわれたと思われます。
大きく報じられていませんが、不正を見抜けなかったのは抜き打ちで立ち入らなかったからです。
「鍵を開けてもらうため立ち会って欲しい」「連絡なく勝手に調査できない」と考え、前もって調査日を社長へ伝えた。
そうなると当然、社長は不正を隠すでしょう。
うまく証拠を隠されたら、見抜けるわけがありません。
立ち入ったにも関わらず見落とされ、決定的な証拠を見つけ出せなかった。
そして形だけの立ち入り調査を終え、何もなかったと報告したのではないでしょうか。
だから行政は動かなかったのです。
事件発覚後・・・どうなったのか?
事件発覚から1カ月後の2007年7月17日、ミートホープ社は約6億7,000万円の負債を抱え自己破産しました。
100人近い従業員は全員解雇され、2008年10月13日には本社が解体されます。
赤羽さんはそのことに責任を感じ、2017年の取材では「当時は社会的に意義があったけど返り血が大きすぎる」と述べています。
事件の顛末と今後の方向性
不正を告発した彼の元には、「あんたのせいで職を失った」「どうしてくれるんだ」と批判が殺到。
赤羽さんの妻は病に倒れ、そのあと彼は2009年生まれ育った長野県へ戻りました。そして辰野町議選への立候補を表明しながらも、2023年4月に心不全で亡くなります。
告発前の2006年には「公益通報者保護法」が施行されていました。
公益通報者保護法とは、内部告発者を不利益から守るというもの。
常時300人以上の従業員が勤務する会社は、告発体制を整備する義務があります。
この制度は浸透していませんが、SNSが社会へ普及した現代はすぐに情報が拡散し、これまで許されていた行為も広がりやすいので注意が必要です。
※画像はイメージです。
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