小さな道具ひとつにも魂が宿ると信じ、神(カムイ)として大切に扱ってきたアイヌの、心あたたまる絵本です。
アイヌの国へ降りていく神
北海道の先住民族であるアイヌには、数多くの民話が伝わっています。この「ひまなこなべ」もそのひとつを絵本にしたものです。
狩りや漁をして暮らしてきたアイヌの人々にとって、熊は狩猟の対象でしたが、単なる獲物ではありません。魂の宿った神(カムイ)であると考えられていました。アイヌでは、あらゆるものに魂が宿ると信じられていますが、中でも熊は特別だったようです。
熊は、人間に肉や毛皮を与えてくれます。そのお礼に、熊に宿っていた霊を丁重に天の国に送り返す・・・そのような文化が、アイヌにはありました。
この絵本に登場する物語の語り手も、熊の姿をした神です。アイヌの国へ降りていった熊の神は、狩りをするアイヌの前へわざと出ていき、矢を受けて倒れます。そして、アイヌの村へ運ばれていきました。
そこでは人々が集まり、熊の神を大切にもてなしました。ごちそうが並び、歌や踊りが始まります。その中に、ひときわ踊りの上手な若者がいることに気づいた熊の神は、その若者が神であることを見抜きました。しかし、何の神であるのか、正体がわかりません。
天の国に帰っても、その若者のことが気になって仕方がない熊の神。何度も熊の姿になり、アイヌの国へ降りていっては送り返されるのですが、なかなか若者の正体がつかめません。
しかし、あるときついに、その正体がわかります。アイヌの家の壁に並んだ鍋のうち、一番小さなものが揺れるのを見たのです。
踊りの上手な若者は、アイヌの家の小鍋でした。住人に大切に扱われている小鍋は、いつもきれいにしてもらっているので、暇さえあれば踊りたくなり、そのため、踊りが上手になったのだといいます。それに、熊の霊を送る儀礼のときには、大勢の人が集まり、大きな鍋が必要なため、小鍋は出番がありません。そこで、家の人にお礼を兼ねて、大切なお客である神々に踊りを見せていたのだといいます。
天の国に帰った熊の神は、夢で住人に小鍋の神のことを知らせてあげたということです。
イオマンテ 熊送りの儀式とは?
絵本で描かれる熊の霊を送る儀礼は「イオマンテ」と呼ばれます。厳密には、狩猟で得た熊を送る場合は「カムイホプニレ」と呼ぶそうです。熊を捕まえた際に子どもがいた場合、その子熊はつれて帰って大切に育てるのだといいます。飼育して大きくなった子熊を送り返すことを「イオマンテ」というのだそうです。
獲物の霊を送り返す儀礼は、アイヌの人々にとって、重要なものでした。
主に熊(ヒグマ)に対して行われていましたが、熊以外の動物や、時には道具であってもこの儀礼を行っていたようです。
アイヌの人々は狩猟によって動物の肉や毛皮を得ていました。人々は感謝してそれを分け合います。そして、肉や毛皮のお礼に、歌や踊りでもてなし、たくさんのお土産を持たせて動物の霊を天の国へ送り返すのです。
そこには、再び、肉や毛皮を携えてアイヌの国に来てほしい、という願いも込められていました。
熊送りの儀礼の際には「ユカㇻ」と呼ばれる口承文芸が語られるのですが、宴では物語をすべて語らず、クライマックスでやめてしまうのだそうです。送られる神が、その続きを聞きたくなり、再度アイヌの国へ訪れてくれることを期待しているからだとか。
いただいた命に感謝し、道具は大切に扱う…そこには、すべてのものは魂の宿った神であるとのアイヌの人々の間に息づいた精神があります。
アイヌには文字はないといいますが、口伝えによって、その精神は語り継がれてきました。
今、アイヌの間で語られてきた物語は、絵本という形で出合うことができるのです。
絵本でよみがえるアイヌの昔話
この絵本の物語は、アイヌの民話が元になっています。絵本の作者はかやのしげる(萱野茂)さんで、アイヌ初の国会議員であり、アイヌ文化研究者でもありました。アイヌ語を母語として育ったというかやのしげるさんは、アイヌ文化の保存と継承に務め、民話集などの著書を残されています。
作画は「チリとチリリ」絵本シリーズでおなじみの、どいかやさん。優しいタッチにほっこりします。森の風景は美しく、人々が集まるシーンは本当に楽しそう。心あたたまるストーリーにぴったりな絵です。
アイヌという人々、そしてその世界には、あまりなじみがないという人が多いかも知れません。名前を聞いたことはあっても、実際にアイヌ文化に触れることは少ないでしょう。
でも、こうして絵本となることで、私たちはアイヌを身近に感じることができます。
それは、とても意味のあることだと思うのです。
なぜなら絵本を通して、現代を生きる私たちが失いつつあるものに気づかされるからです。
アイヌの精神を受け継ぐこと
この絵本に登場するアイヌの家の住人は、小鍋ひとつでさえ敬い、大切に扱っていました。
その小鍋の神の踊りを見たくて、また、踊る若者の正体が知りたくて、熊の神は何度もこの家にやってきました。結果的に、この家にはたくさんの肉や毛皮がもたらされ、裕福になります。ものを大事にすることが、その家に幸せを運んでくると教えているのです。
現代を生きる私たちは、どうでしょうか。食べるものも、道具も、簡単に手に入ります。そのひとつひとつを、感謝を持って手にすることは、少ないかも知れません。
アイヌの昔話は、私たちが忘れてしまったことを、思い出させてくれるのです。
アイヌの優しさにあふれた絵本「ひまなこなべ」が、多くの人に読み継がれていくことを願います。子どもだけでなく、おとなにこそ読んでほしい一冊です。親子で一緒に絵本を開くのもいいですね。
そして食べものを口にするとき、道具を手に取るとき、この絵本を思い出してみて下さい。
日頃、何気なく触れるものに畏敬の念を持つことは、心を豊かにしてくれるに違いありません。
(C) 萱野 茂 / どい かや あすなろ書房
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