函館といえば五稜郭、函館の中心地に位置する人気の観光スポットです。
戊辰戦争最後の戦いの舞台として、土方歳三や新選組ファンも多くれます。
そもそも「五稜郭」とは何なのか?
なぜこの場所に造られたのか?
その謎を深掘りしてみようと思います。
五稜郭とは?
五稜郭は1864年(諸説ありで資料によっては1866年とされます)に築かれた、日本初の西洋式城郭です。
鎖国政策を続けてきた日本が、幕末に箱館(現函館)港を開港するにあたり、箱館奉行所の新しい拠点として建設されました。
名前の由来はそのものの「五つの角」。
上空から見ると星型のような形状をしており、これが「星形要塞」と呼ばれ、単なる飾りではなく、外敵を死角なく迎撃できる軍事的合理性を持った設計であります。
建設にあたっては、江戸幕府が派遣した箱館奉行の堀利煕・竹内保徳らのもと、設計・施工を統括したのは武田斐三郎。斐三郎は蘭学・兵学に精通し、英語やフランス語も堪能、西洋の建築技術を日本に持ち込んだ中心人物です。
こうして、日本初の西洋式城郭・五稜郭が誕生したのでした。
他の稜郭も存在する
ふと、五稜郭があるのならばと思い調べてみると、なんといくつかの稜郭があるようです。
四稜郭
四稜郭は、長方形のそれぞれの辺を少し潰して、上から見ると蝶が羽を広げたように見える要塞です。
五稜郭の築城から約3年後の1869年に建設されたとされ、五稜郭の北方に位置し、五稜郭の背後や北海道東照宮を守るための拠点だったと考えられています。
また、北斗市にある戸切地陣屋跡も、四稜郭の一部であった可能性があるという説もあるようです。
三稜郭
五稜郭、四稜郭とくれば、やはり「三稜郭」も気になるところですよね。
古地図には三角形の陣屋の記載があり、現在の函館市桔梗にある比遅里神社の形状から、ここが三稜郭だったのではないかという仮説があります。
ただし明確な証拠は乏しく、あくまで研究者による推測の域を出ません。
ここまでは頂点の数を減らしていきましたが、今度は増やしていきます。
六稜郭
五稜郭の設計者・武田斐三郎が弁天岬に港を監視する台場を築いた際、不等辺六角形の形状だったことから、後世の一部で「六稜郭」と呼ばれた可能性があるらしいです。
しかし、1896年(明治29年)の湾の改修で取り壊されておりますので、真偽は不明となります。
七稜郭
函館市の隣、七飯町に「七稜郭台場跡」が存在します。
旧幕府軍が五稜郭を占拠した後、フランス人士官ブリュネの指導で急造された小規模な星形要塞で、7つの角を持つことから「七稜郭」と呼ばれますが、正式な名称ではないようです。
これ以上の稜郭はありません。
追記ですが、六稜郭、七稜郭について、はっきりした記録はみつかりませんでした。
函館を守る知恵の痕跡
こうして振り返ると、開国期の日本、函館を守るためにさまざまな工夫が凝らされていたことが分かります。
残念ながら、後にこの地で旧幕府軍と新政府軍が戦うことになったのは、歴史の必然だったのでしょう。
現在では五稜郭タワーの展望台から星型の城郭を俯瞰できるほか、四季折々の景色も楽しめる観光スポットとして人気があります。歴史が好きな方は資料館もありますし、お城が好きな人はもちろん、景観を楽しみたい人にもおすすめできる場所である。
函館に来た際は、ぜひ五稜郭や四稜郭の形状にも注目してみましょう!


\ コメントくださ〜い /