「襟裳の春は 何もない春です」
襟裳に馴染みのない人でも知っている、あまりにも有名な森進一さんのこの歌。雄大でありながらしんみりと心に沁みる、風情のある曲ですよね!
名曲が故に多くの人の頭に残っているフレーズですが、舞台となった襟裳岬には果たして「何もない」のでしょうか?いえいえ、そんなことはありません!
特徴的な地形から見える、襟裳岬の長い歴史
襟裳岬は、全長150kmにも及ぶ「北海道の背骨」、日高山脈の最南端に位置する岬です。
太古の昔の造山運動によって盛り上げられたこの日高山脈が道南に向かうにつれ標高を下げ、襟裳岬に至って大海原に沈んでいき、その沖では岩礁群が山脈の名残のように連なっている……という、まさに壮大な地殻変動のドラマを思わせる景観が望めます。
また、襟裳はかつてアイヌの人々が暮らしていた地でもあります。「えりも」とはアイヌ語で「エン・ルム(突き出ている頭)」のこと。岩礁ひとつひとつにもアイヌ語の名前が残されているところに、かつてのアイヌもまたこの景観に胸を打たれたであろうことが窺えます。さらに、襟裳岬は文化庁によってアイヌの伝承・祈りの場であり、優れた景観を成す景勝地群「ピリカノカ(美しい形)」のひとつにも指定されています。
このように、地形の面でも文化の面でもとても歴史ある地なのです。
全国随一の強風地?!「風の館」で体験しよう!
襟裳岬には少し変わった特徴があります。それはとっても風が強いということ!
風速10m/sの風が年間260日を超え、風速30m/sにまで至ることも珍しくないという、わが国有数の強風域なのです。ちなみに風速30m/sというと強い台風並みの風速で、屋根が吹き飛んだりトラックが横転したりするほどの勢いがあります。
そして襟裳岬にはそんな強風をその身で体験できる「風の館」があるのです!
強風の中でジャンプして「ちょっと飛べた!」なんてはしゃいだり、前のめりになって「ゼロ・グラヴィティ」に挑戦したり、ここでしかできない楽しみ方で強風を満喫してみてはいかがでしょうか?
また、屋内から迫力満点の岬の風景を望めるガラス張りの展望室もオススメです。岩礁に打ち付ける波や、たまにくつろいでいるアザラシたちなどを屋内からのんびり楽しむことができます。
江戸時代に起きた悲劇 襟裳の浜の怖い話
さて、自然の大迫力が味わえる襟裳岬ですが、実はここにも人間の念がこもった、ちょっと不気味なスポットがあるのです。
それは岬の北東部にある、10kmにも及ぶ浜「百人浜」。
非常に美しい砂浜で観光スポットとしても人気がある一方、夜中、誰もいないはずの浜で足音やうめき声が聞こえるなど、背筋の凍るような体験談も寄せられています。
なぜこのような心霊現象が囁かれているのか、アイヌ語名の多いこの地において日本語の「百人浜」と名がついているのはなぜなのか……。すべては、江戸時代に起きたある事故が原因でした。
1816年(文化13年)のことです。南部藩の大型船が沖合で難破し、多くの乗組員が命を落としてこの浜に打ち上げられ、辛うじて生き残った者も飢えと寒さで亡くなってしまったという出来事がありました。その犠牲者が100人にものぼったことから、百人浜と呼ばれるようになったのです。
実際、かつてこの近辺は海難事故が頻発していたようで、数多くの遭難者のために江戸時代に建立された供養碑が今でも残っています。
襟裳岬の深みを味わいに行こう!
襟裳岬はこのように、様々な面を持つドラマチックな場所です。
件の歌詞を刻んだ石碑もありますよ!
吹き荒ぶ風を浴びつつ太平洋に沈む山脈を望めば、情緒的な気持ちに満たされること間違いありません。
厳しい冬を経て春の芽吹きを迎えた襟裳岬に何があるのか、ぜひ自ら赴いて味わってみてください!
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