芦別で創る穏やかな一日

芦別市で製作・撮影され、数多くの映画賞を受賞した、伝説的な邦画がある。大林宣彦監督『野のなななのか』(2014)だ。
この映画、まじ、すごい。芦別の歴史と原野が、時空を超え、第二次世界大戦そして東日本大震災とも重なり合い、反戦のメッセージがずどーんと落ちる、壮大な作品だ。

2018年10月。快晴。
がんと闘いながら精力的に映画制作を続けている大林監督の『野のなななのか』に続く新作『花筐』の完成披露上映会と舞台挨拶があるという情報をききつけ、私たちは北海道芦別市に飛んだ。

山形空港から新千歳空港まで約1時間、そして新千歳から札幌まで1時間、芦別行きのバスに乗り換える。北海道の真ん中に広大な面積を持つ芦別は、89パーセントが森林というだけあって、車窓からも北海道の大地をかみしめた。すれ違う車が少ない道をバスは2時間走行し、芦別に到着した。

どこか懐かしい、子どものころの記憶と重なり合うような町であると同時に、映画の風景が目の前に広がっていた。街灯までレトロでかわいくて、テンションがあがる。

私たちは早速、『野のなななのか』に登場する「どりこの饅頭」を手に入れるべく「南澤菓子舗」に真っ先に立ち寄った。その日の上映会のポスターも貼ってあり、芦別に到着したんだと、胸の鼓動は高まった。

南澤菓子舗で、どりこの饅頭ほかお土産をゲットし会場に入ると、既に客席は満席で、あふれんばかりの熱気に満ちていた。ここは小さな公共施設。本当に、巨匠大林監督が来ているのだろうか。大女優の常盤貴子さんも?信じがたい気持ちも抱きつつ、ドキドキしながら開演を待つ。

映画『花筐』については、原稿用紙が何枚あっても語り切れないので割愛させていただくが、会場はずっと熱気に満ちたままで、すすり泣く声も聞こえ、上映後に大喝采で監督たちが登場した。

大林監督夫妻と常盤貴子さん、窪塚俊介さんたちと製作チーム10名以上豪華メンバーが、観客とすごく近い距離でステージにあがった。大林監督は「戻ってきました」と挨拶し「がんと闘っているのではなくて、がんと共に生きています」と、私たちに語りかけた。常盤貴子さんは「今日は芦別を散策してきました」と、実家に帰ってきたかのようだった。巨匠や俳優が、自然体で市民と語り合う。
東京だとプレミアチケットで、こんな豪華な上映会には潜入できないだろう。芦別マジックだった。

上映会のあとには懇親会もあり、監督たちのお話を聞き、『野のなななのか』映画製作にかかわった方々ともたくさんお話をさせてもらう。芦別に到着してたった6時間。うち3時間余りは映画鑑賞だったのに、なんと濃い至福の時間がすごせたことか。夢見心地で秋田旅館に向かう。

翌日は、『星の降る里百年記念館』を訪ねた。紅葉が私たちを迎えてくれた。ここには、『野のなななのか』のことだけではなく、芦別の百年の暮らしがつまっていた。炭鉱があり、開拓者が協力し合って作ってきた町の歴史に触れた時間だった。

帰り際に、永昌寺によらせていただく。ここもロケ地の一つであり、実はご住職である梅田さんとの出会いが、私を芦別まで運んでくれた。私は2017年に山形で、大林監督の映画上映とトークイベントを開催した。その際、芦別市から飛行機で山形までお越しくださったのが、梅田さんご夫妻だった。芦別の方と一緒に観ることによって『野のなななのか』への想いが深まり、芦別を訪ねないではいられなくなったのだ。

時間は正午を回り、新千歳空港に向かう時間となる。
カナディアンワールド公園に新城峠、空知大滝や炭鉱跡にも行ってみたい。芦別のソウルフードのガタタンもまだ食べていない。芦別には温泉もある。夏には、満天の星空をみながらキャンプもしてみたいし、冬の一面の雪景色も魅力的だ。何より、この時芦別で出会ったみなさんと、もっといっぱいおしゃべりしたい。

『野のなななのか』は、芦別市の映画少年鈴木評司さんが、大林監督の故郷である尾道を訪ね、いつか芦別にも古里映画が必要だと始めた映画学校から生まれた作品だと聞く。評司さん、古里映画と芦別が、私の心に刻まれました。

「映画は穏やかな一日を創る」

大林監督が語っていた言葉が、大空に浮かんだ24時間の芦別滞在。コロナが落ち着いたら、きっとまた訪ねよう、いつでもそう思っている。

2020年4月10日にご逝去された大林宣彦監督に心より追悼の意をささげます。

EGG
学校現場や映画や国際協力に関わりつつ、日本全国・世界各国旅をしたのちに山形にUターン。蕎麦と温泉と夕焼けを愛するアラフォー女子。
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