1974年、明治以来の開拓を見守ってきた北海道神宮が放火されました。
「アイヌモシリ」を名乗る人物の犯行声明が届くものの、犯人逮捕には至りません。
横行していた左翼運動との関連はあるのか?
白老町長暗殺未遂との接点は何なのか?
未解決のまま封印された「北海道神宮放火事件」の実像を追います。
事件概要
1974年11月10日午後9時40分頃、札幌市中央区の北海道神宮で火災が発生。
本殿、幣殿、内拝殿など主要部分が全焼しました。
境内の金網が切り取られ、外拝殿には何者かがよじ登った痕跡も確認されています。
ただ、夜間で目撃者が少なく、火の気もない場所から出火したことから、捜査は放火一本に絞られました。
2日後の11月12日、北海道新聞社へ「アイヌモシリ」を名乗る人物から犯行声明が到着。
内容は「北海道神宮はカムイを冒涜する。白老町長襲撃事件の犯人を即時釈放せよ」というもの。
白老町長襲撃事件は同年3月、町長が刺され重傷を負った暗殺未遂事件。
実行犯はアイヌではなく単独行動の活動家と報じられています。
声明文にはWSSR(世界ソビエト社会主義共和国)など、当時の新左翼周辺で使われていた語も含まれており、テロを印象付けられます。
犯行主体に対する疑問
ここから先は推測の領域ですが、当時の状況と照らし合わせて考えられる点を整理します。
2度目の犯行が存在しない
声明の要求(白老町長襲撃犯の釈放)が実現したという記録はなく、警察も相手にしていません。
にもかかわらず、犯人による二次的攻撃や継続的な声明は確認されていません。
組織的テロなら「次」を予告して圧力を強めるのが通例ですが、その形跡はゼロ。
この行動パターンは、組織より単独犯に近いと考えざるを得ません。
アイヌとは無関係
白老町長襲撃犯はアイヌではなく、思想的にも孤立した人物。
つまり、釈放要求とアイヌの名乗りは政治運動の装飾に過ぎず、実態とは一致しません。
「アイヌモシリ」という名は、単に世間をミスリードさせるために使われた可能性が高いと判断できます。
犯人像
これらのポイントから導き出された結論は、テロリストの看板を借りた愉快犯。
日常の不満をぶつける矛先として放火を思いついたけれど、燃やす対象を見つけられず、そのことにも苛立ちを覚えていた。
鬱憤を溜めていたある日、世間を騒がせている左翼活動が思い浮かんで、実行に移したのでしょう。
考えられる犯人候補は、非力な男性。
放火は「力ない人間の犯行」と言われ、相手と対峙する必要がなく、直接攻撃しなくてもダメージを与えられる。
それに「力」というのは、何も腕力のことだけではありません。
家柄・肩書き・立場などが低く、村八分のような状態に追い込まれた人間も含まれます。
そこには革命を夢見る思想も、何の主張も存在しません。
金網を切って侵入している点も、訓練された組織より素人臭さが勝っています。
捜査が行き詰ったのは、マークしていた組織とつながらない個人だったからで、それゆえに翻弄され、まったく見当違いの場所を捜していたのではないでしょうか。
事件の顛末
翌年、北海道警察本部を狙った爆発事件でも「アイヌモシリ」を名乗る声明が出るものの、これも実行犯の特定には至らず、内部犯説や模倣説が取り沙汰されるだけで確定情報はありません。
むろん革命思想の実行犯が、「平凡な生活に身を隠した」可能性も否定はできませんが、明確な主張を継続しなかった点は「組織ではなく一般人の暴走」という判断だと結論付けられるかもしれません。


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