北海道の函館にある五稜郭は星のような形をした珍しいお城です。戊辰戦争において旧幕府軍が拠点を置いて蝦夷共和国を設立した場所で、箱館戦争の舞台として知られ、多くの観光客が訪れる観光スポットです。
そんな五稜郭には、箱館戦争で討死した土方歳三の遺体が埋葬されている伝説が残されているのをご存知ですか?
五稜郭とは?
五稜郭は国の特別史跡に指定されております。もともと江戸時代において、日米和親条約によって箱館(函館)や下田を開港するため、箱館山山麓に位置していた箱館奉行所を移転するため建築されました。
西洋風の要塞都市をモチーフにした星形五角形の形から、五稜郭と呼ばれるようになります。近くにある五稜郭タワーからは五稜郭を見下ろすことができ、きれいな星の形を観賞できます。
箱館戦争の舞台、新選組の最後の戦場でもあり、再現された箱館奉行所では資料が展示され歴史を知ることが可能です。
箱館戦争と五稜郭
大政奉還の次の年、旧幕府軍と明治政府軍によって戦が始まりました。旧幕府軍は敗走に敗走を重ね、残兵は蝦夷(北海道)に向かいます。その中には新撰組副隊長の土方歳三の姿もありました。
五稜郭を占拠して蝦夷共和国を設立しますが、明治政府軍によって箱館への総攻撃が行われるようになり、土方歳三は一ノ木関門において狙撃され戦死しました。旧幕府軍は明治政府軍に降伏し、蝦夷共和国は半年で終わりを迎えます。
土方歳三の遺体
土方歳三が戦士した後、彼の亡骸がどこに埋葬されたかは謎で、旧幕府史談会において「伊庭八郎の遺体が五稜郭の土方歳三の隣に埋められた」という証言があり、五稜郭の地中に埋められているという説があります。
土方歳三は明治政府軍の敵になるので、彼の遺体が見つかってしまうと晒し首にされたかもしれません。実際新撰組局長の近藤勇は戊辰戦争中において投降し、斬首され首が晒されました。旧幕府軍は土方歳三が見つからないよう、五稜郭の地中に埋めたかもしれません。
明治16年に発行された函館新聞の記事によると土塁修復工事の際にたくさんの遺体が見つかり、願乗寺へ改葬されたとあるのでそこにあるのでは?とされていますが、五稜郭説が根強く残っています。
五稜郭を訪れると松の木の根元に花束が置かれているのことがあり、松の木の付近には伊庭八郎と一緒に土方歳三も眠っているという伝説から、新選組のファンが置いていくのです。
五稜郭
五稜郭にはたくさんの桜が植えられており、現在美しい花が春を彩り観光客で賑います。
この地に埋葬された戦死者を悼むかのように、毎年春になると花びらが舞い散ります。
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