かつて北海道で大量に獲れていたニシン。
一時はその姿を消してしまい「幻の魚」と呼ばれるようになったニシンの生態や歴史、北海道との関わりについてお伝えします。
ニシンってどんな魚?
ニシン目ニシン科の海水魚で、別名を春告魚(はるつげうお)といわれ、春の魚として有名です。産卵期の春。
産卵のため、たくさんのニシンたちが北海道沿岸に現れます。
一度に数万個もの卵を産む個体も確認されており、その繁殖力は非常に高いことで知られているニシン。日本ではニシンの塩焼き、照り焼き、煮つけなど、さまざまな料理に使用されています。
その中でもとくに有名なのが「ニシン蕎麦」でしょうか。
こちらは京都でも有名な蕎麦ですが、じつは北海道でもかなり昔から食べられてきた蕎麦です。ニシンは古くから私たちの食や生活に深く関わっている魚なのですね。
名前の由来
漢字で書くと、「鰊」。
これはニシンが北海道など東の海域で獲れたことに由来し、東の魚であることを示しています。名前の由来は諸説ありますが、身を2つに裂いて食べることから「二身(にしん)」と呼ばれるようになった説が有力といわれています。また、アイヌ語ではニシンを「かど」と呼び、卵の「かどの子」が訛り、現在の「かずの子」といわれるようになったとされています。
さらにべつの漢字表記で「鯡」と書くことがありますが、これは江戸時代、蝦夷のゆいいつの藩であった松前藩が、年貢として米のかわりにニシンを収めていたことから、「魚に非(あらず)、米なり」といわれ、当時のニシンが米と同等の扱いをされていたことに由来します。
生態と特徴
成魚のニシンは体長30〜35センチほどの銀白色の魚で、見た目は皆さんもよく知っているイワシに似ています。ただしイワシとは違い、ニシンの体側には黒点がありません。
数千匹〜数億匹の群れとなって回遊するニシンは、沖合の水深およそ200メートルの海域に生息し、1日に50〜100㎞を移動します。主食は浮遊性の甲殻類や動物性のプランクトンです。
分布
本州中部以北から朝鮮半島、北極海、カリフォルニア州に分布しており、日本でも北海道沿岸、沖合の水域と広く分布しています。
※ニシンの分布域は広範囲を回遊する群れの「広範囲群」と、回遊範囲が狭く、固有の湾内を生息地とする「地域群」にわかれます。
寿命
野生で10年以上。飼育下で20年以上生きたニシンも確認されています。
北海道を支えた魚
ニシンと北海道の関わり、歴史について触れていきます。
北海道でニシン漁がスタートしたのは、江戸時代。
北海道で本格的にニシン漁がはじまったのは江戸時代の初期。当初はアイヌの人たちが中心となってニシン漁をおこなっていました。食料や交易品など、重要な収入源としてニシンを重宝していたといいます。
その後、和人が北海道に進出。アイヌの人たちとの交流を持つようになります。江戸時代に北海道の一部の地域をおよそ260年にわたって治めていた松前藩も、ニシンを本州に輸出するなどして、米やさまざまな物資と交換していました。そのときに生まれた言葉が「魚に非(あらず)米なり」です。松前藩にとって、ニシンはお米と同等の価値を持っていた、ということが窺えます。
北海道でニシン漁が最も栄えた、明治時代
明治30年。北海道でのニシン漁獲量は過去最高の約97万トンを記録します。当時の日本の漁獲量のおよそ6割を占めるほどの驚異的な数でした。そのまま明治後期から大正にかけて、ニシン漁は栄え、小樽の経済基盤を築いたといわれるほどの大産業となりました。ニシン漁で得た膨大な富によって建てられた御殿、「鰊御殿」が各地に造られたのはこの頃です。
ニシンは北海道のみならず、全国の家庭で人気の一品として定着・親しまれていました。ちなみに当時のニシン漁の際に作業歌として歌われたのが「ソーラン節」です。
姿を消した、昭和時代
北海道の海からニシンが姿を消したのが、昭和29年のこと。北海道余市町から小樽市の沿岸で確認されたのを最後に、ニシンたちは姿を消してしまいます。その後、昭和32年。あれだけ栄えていたニシン漁が途絶えてしまう事態になり、ニシンの水揚げ量は激減しました。
なぜ姿を消してしまったのか?
ニシンが姿を消してしまった理由。そのひとつに乱獲が挙げられます。ニシンの漁獲に規制がなく、適切な制限がされていなかったことでニシンが激減。一度に大量のニシンを漁獲しつづけた結果、重宝していたニシンが枯渇してしまいます。
また、海水温の上昇といった環境の変化も、ニシンの産卵が阻害されたりと、ニシン減少と大きく関わっていると考えられます。さらに工業化に伴う海洋汚染も悪影響を与えた可能性があると指摘。プランクトンなどニシンの餌となる生物が減少してしまったことで、ニシンの生息環境に影響をもたらしました。
急激に数を減らしていったニシンですが、じつは、昭和55年にニシンの来遊があったといいます。しかし残念ながら、当時の漁師たちはこのときもニシンを取り尽くし、乱獲してしまったといいます。これでニシンが復活するチャンスを逃してしまったことに…。
復活を果たした、平成
平成8年。北海道石狩振興局は「ニシンの資源増大対策」の取り組みのひとつとして、約16万のニシンの稚魚を海に放流します。しかし、3〜6月の産卵のために押し寄せるニシンたちによる群来(雄が精子を海中で放出して海が乳白色に染まる現象)は長い年月、北海道でみられることはありませんでした。
平成11年3月。北海道留萌市礼受の海岸で45年ぶりにニシンの群来現象が確認されます。ニシンの産卵場所や生育環境、回遊ルートなどを調査すること、ニシンの卵を人工的に孵化させて稚魚を育て、海に放流すること、持続可能な漁獲をおこなうための漁獲量の調節など、ニシンに与える影響を徹底して調査。ニシンの資源を回復させることを目的に「ニシンプロジェクト」が発足されます。
ニシンプロジェクトの継続的な遂行など、ニシンを復活させるための取り組みが現在のニシン復活に繋がりました。現在、北海道で獲れるニシンは以前ほどの量ではないですが、それでも年間の水揚げ量は1万トンほどに回復しています。令和4年(2022)には35年ぶりの豊漁になるなど、北海道でのニシンの漁獲量は増加傾向にあります。
ニシンのお話
ニシンと北海道の関係は深く、しかも古い。明治のニシン漁全盛期と比べると、現在のニシン漁獲量はたしかに大幅に減少しています。これは一概にニシンだけでなく、イワシ漁などと置き換えても同じことがいえます。
海は広大でさまざまな生命に満ちていることから、海の資源は無限に見えますが、言うまでもなく有限です。かつて北海道でおこなわれていたニシン漁とそれに伴うストーリーから、限りある海の資源を大切にしないといけないということを、本記事に触れることで改めて認識していただけたら幸いです。
乱獲によって失われたものは簡単には取り戻すことができないということ、私たちの人間活動が自然に与える影響について、持続可能な資源をつくりだし自然と共存していくための模索、それらを識しつづけることができるよう一人ひとりで工夫していきたいですね。
※画像はイメージです。
\ コメントくださ〜い /