坂本龍馬と北海道〜開拓にかけた一族の物語

坂本龍馬といえば、幕末を駆け抜け、志半ばで暗殺された「悲劇のヒーロー」ですよね。
土佐藩(現在の高知県)出身の龍馬ですが、実は北海道と深いつながりがあるというお話、ご存じですか?

龍馬が夢見た「北の大地」、いかにして親族たちに引き継がれたのか、その意外なエピソードを紹介します。

目次

龍馬の「野望」は北海道にあり?

龍馬の活動といえば、薩長同盟や大政奉還のイメージが強いですが、彼の頭の中には常に「北海道(蝦夷地)の開拓」がありました。
単なる思いつきではなく、当時、日本は古いルールや身分制度に縛られていましたが、手つかずの大地が広がる北海道なら、自分の実力だけで勝負できる「自由な貿易の拠点」が作れるはず。
龍馬はそう確信していました。

勝海舟に弟子入りして海軍の勉強をしていた頃から、彼の目はすでに北を向いており、土佐の仲間たちを送り込む具体的な計画まで立てていたほどだと言うのです。
龍馬がいかに「先見の明」を持っていたかを実感しますね。

ところが、池田屋事件で仲間を失い、いろは丸の沈没で莫大な損害を出したりと、不運が続きます。
そして最後は、自身の暗殺。
龍馬の「北海道で新しい国をつくる」という野望は、結局本人が上陸することなく、潰えてしまいました。

バトンを継いだ甥・直寛と「北光社」の挑戦

ですが、龍馬の夢は死んでいなかった。
その熱い思いを引き継いだのが、龍馬の甥っ子である坂本直寛(なおひろ)なのです。

彼は高知で政治活動に励んでいましたが、「これからは北海道の時代だ!」と決意。キリスト教の教えに基づいた理想の村をつくるため、一族を連れて北海道移住という大プロジェクトを立ち上げました。
それが開拓団「北光社(ほっこうしゃ)」です。

1897年(明治30年)、彼らが辿り着いたのは浦臼(うらうす)町。
当時の浦臼は、見渡す限りの原生林と、足が埋まるほどの泥だらけの土地でした。ヒグマに怯え、凍えるような寒さに耐えながら、龍馬の親族たちは斧一本で森を切り拓いていきました。

英雄の孫が「雑貨屋」の主人に?浦臼での暮らし

この過酷な開拓には、龍馬の養子・坂本直(なお)の奥さんである留さんと、息子の直衛(なおえ)も合流しました。 驚くべきことに龍馬の家督を継ぐ立場の直衛は、浦臼の駅前で小さな「雑貨店(坂本商店)」を営んだのです。

「英雄の孫なのに、村の小さなお店屋さん?」と思うかもしれません。
しかし、当時はほとんど未開の開拓地。生活必需品や雑貨を扱う商店は、入植者たちにとって命を繋ぐ大切な場所でした。
坂本龍馬といえば、破天荒なアイデアで時代を動かした人物。でも、彼の本当の凄さは、ただ夢を見るだけでなく「どうすれば飯を食っていけるか」を徹底的に考え抜く、プロのビジネスマンとしての逞しさにあったと思います。

直衛が選んだ「村の商店主」という生き方は、そんな龍馬譲りの「何者にも縛られず、己の実力で生きていく」という独立不羈(どくりつふき)の精神そのものではないでしょうか?
龍馬の名前を看板にするのではなく、一人の開拓者として人々の暮らしを支える道を選んだのです。

浦臼にある「坂本龍馬家」のお墓には、そんな泥臭くも誠実に生きた彼らが静かに眠っています。

六花亭の包装紙にも残される「龍馬」

いかがでしょう。
坂本龍馬と北海道の縁はこれほどまでに大きく、深いものだったのです。

さて、最後に皆さんに馴染み深い「あるもの」のお話を。北海道土産の定番、六花亭の包装紙です!
あの素敵な山野草のイラストを描いたのは、坂本家の8代目当主、坂本直行(ちょっこう)さん。彼もまた、十勝の原野を自分で切り拓いたガチの「百姓画家」でした。
高知出身の植物学者・牧野富太郎博士の図鑑を参考に描かれたあの花々は、土佐から北海道へと繋がった150年の歴史そのものです。龍馬といえば土佐の印象が強いですが、実は北海道にもこんなに熱い物語が眠っています。

ぜひ坂本ゆかりの地を巡ってみてください。
お土産には、坂本家の魂が宿る六花亭の菓子をお忘れなく!いつもより少し、歴史の味がするはずですよ。

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