ロシアの侵攻許すな!胆振に残る陣屋跡

ロシアによるウクライナ侵攻が収束を見せない。日本は侵攻を強く非難。両国の国境となる北海道では、連日緊張感が高まっている。江戸時代後期、鎖国中の日本を脅かしたのもロシア船。事態を重くみた幕府は、東北諸藩に道内の警備を命じた。藩士らは各地に堀や大砲を構えた「陣屋」を築き、万一の侵攻に備えたのである。胆振に残る遺構は、当時の造りが色濃く残る良質な史料。2022年10月には、白老町の「仙台藩白老元陣屋」が北海道遺産に登録された。関係者は北方の歴史に興味を持つ、きっかけ創出を期待している。

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陣屋の歩み

江戸時代後期、南下政策に臨んだロシア。測量などを名目に、北海道近海へ押し寄せることも数度あった。鎖国中の幕府は、こうした動きを危惧。警護を東北諸藩に命じたのである。※道南の一部を領する小藩、松前藩は役不足とみなされ、2度本州に転封されている。その領地は幕府の直轄領とされた。
東北諸藩は一部の藩士を沿岸警護に送った。彼らが生活を営んだ場所が「陣屋」である。陣屋では、大砲や鉄砲など武器、保管施設のほか、生活場所も身分に応じて細かく区切られている。明治まで続くものもあった。

胆振に残る跡地

胆振には白老と室蘭に陣屋の遺構がある。両方とも堀や土塁などが分かりやすく残り、当時の北海道を知る上で貴重な史料だ。
筆者が住む室蘭市の南部陣屋跡を実際に歩いてみて、陣屋の防衛機能を検証していきたい。

室蘭・南部陣屋の歴史

ロシアを警戒した幕府により、函館-幌別の防衛を命じられた南部藩(いまの岩手県一帯をほぼ領有)。1856年(安政3年)、ペケレオタ(アイヌ語で白い砂浜の意、いまの室蘭市陣屋町)に、旧5千円札の「顔」として有名な新渡戸稲造の父(勘定奉行)らが事前調査を行い、出張陣屋を築いたのがはじまり。
広さは約17500平方メートル、方形、数メートルの堀や壕が二重に張り巡らされていた。内部には大砲が設けられていたほか、防衛にあたる藩士らの住居、火薬庫なども設置されていた。
藩士らは、1868年(明治元年)に廃棄されるまで常駐していたという。
1934年(昭和9年)に国の史跡指定を受けた。

実際に歩いてみて

自然豊かな室蘭市陣屋町にある南部陣屋。関連史料が豊富な民俗資料館から伸びる坂道を進む。人気のない道を一人進む姿を不審に思ったのであろう。近隣住民がじっと見てくる。「すみません、陣屋跡を探しているのですが」。男性に声をかけてみた。「まっすぐ進むとあるよ。墓もあるからね」とのこと。藩士らが植えたとされる杉林が見えてきた。うっそうとした直立不動の木々は、火薬庫の日差しよけの意味もあったらしい。そのためか昼間でも薄暗い。そこを抜けると、墓石のような石が複数見える。墓ではない。「鉄砲武者」「大砲方」などと書かれた石が、区画割りされた土地の中央に置かれている。当時を様子を再現しているのは、検証の上でありがたい。

まず、目を引くのは陣屋を囲む土塁である。高さは成人男性の背丈を超え、急斜面。登るのは一苦労だ。長靴を履いてくるべきであったと後悔した。頂上に登ると、東日本最大のつり橋として有名な「白鳥大橋」や工場群が一望できる。これらは埋め立て地の上に建つもの。当時は海だったのだから、沿岸沿いの構築は間違いないようだ。当時は別の陣地と連携し、3方向から敵を迎え撃つ構えであったらしい。

一方、埋め立て地を考慮しても海までは遠い。市によると、当時この陣屋から目標までは、約1090メ-トルあったという。藩士らが別の台場で試射を行ったところ、一番遠くに飛んだ弾で109メ-トル。わずか2〜3メ-トルの弾もあったようだ。十分な防衛機能を果たしていたとは、言い難い。

陣屋として機能した12年間、約350人が常時駐留していたという。遺構内を見渡すと、役人や砲手のほか、医者などもいたようである。設備も藩士らの住居スペースや武器庫、馬小屋など多彩。周辺区域も含め、さながら小都市を形成していたのかもしれない。堀には現在、鯉がのんびり泳いでいるが、当時は緊張感が敷き詰めていたのであろう。故郷を離れ、未開の地の防衛に当たった「先人」たち。この地で最期を迎えた人も少なくない。心から哀悼の意を示したい。

白老にも陣屋がある。仙台藩士らが防衛の任に就き、南部陣屋と同時期に機能した。現在も当時の面影を色濃く残している。道遺産に指定されたため、注目度はさらに高まりそうだ。当時の土塁や堀が形を残している。資料館が近く、遺物からも知識を得ることができる

まとめ

良好な陣屋の遺構が残る胆振では、毎年未開の地で亡くなった先人たちをしのび、慰霊祭を行っている。一方、若い世代の関心は薄いままで、30代の筆者が室蘭の陣屋を訪れようとしたときには、住民が好奇のまなざしを向けてきた。200年以上の出来事に興味を持つ方が少数派かもしれない。
敷地内に伸び放題の草、散乱した鹿のふん。関心を広げるには、景観の良さや設備の充実が鍵となる。

海とはいえ、ロシアは日本とも国境を接している。未解決の北方領土問題をはじめ、両国の関係は良いとはいえない。良好な関係を継続する方法を考えなければならない。陣屋が機能したのは過去であり、あくまで「観光資源」であってほしいものだ。

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