日本最大級の立坑跡、三笠市奔別町 旧奔別炭鉱

数年前のゴールデンウイーク、三笠市立博物館を目当てに、バスに乗り、幾春別4丁目停留所で降りた。
そこから見えたのは、奇妙な鉄の塔だった。
錆色をした廃墟と思しき風体ながら、何に使うのかさっぱり分からず、「奔別」という文字も読めない。ただ、何となく廃墟好き(軽度)の嗅覚に任せるまま、近づいて行った。

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正体判明

バス停からその塔までは思ったより距離はなかった。数分歩き、数ブロックの住宅地を抜けたと思ったら、広い私有地に到着した。
ゲートの前に説明看板が立っており、「旧奔別炭鉱」とあり、詳細の説明がされていた。
なるほど、ここは炭鉱跡だったのか。化石で博物館が出来るぐらいなのだから、こういうものはあって当たり前で、頭になかった自分が軽率ではあった。

遠くから見えた塔というのが立坑櫓と呼ばれる設備で、人員や機材、石炭などを上げ下げする、いわゆるエレベーターだった。高さ約51m、深さは735mで、東洋一と呼ばれた事もあったという。
しかし、立坑櫓が完成してから6年目に爆発事故が発生し多数の死傷者を出した。そしてその5年後には、炭鉱自体が閉鎖になったという。
何と言うか、結構不遇な施設だったようだ。

敷地内を見学

旧奔別炭鉱は私有地で、通常は関係者以外立入禁止なのだが、その日は幸運にもゴールデンウイークのゲート開放日だった。
係員の人の受付後、敷地内を歩く。広々した敷地に他の観光客はまばらで、10名前後しかいない。

立坑櫓は「奔別」の文字が貼られており、鉄骨の隙間から4つの巨大な巻き上げ車輪が見える。手前の建物は、コンクリートの建物と、金属の骨組みだけになった建物がくっついている。金属の廃墟は、やはり錆色が似合う。建物だけでなく、水たまりもオレンジの錆色をしている。
敷地内には立坑櫓跡の他に、奥に大きな建物「精炭ホッパー跡」があった。コンクリートがむき出しで、屋根は破れ歪み鉄骨が露出している。どこから崩れ始めても不思議のない状態だ。

自分が訪れた時には、1階部分に入る事が出来たが、今は禁止されている。もったいない気はするが、崩壊しつつある建物の状況から考えれば、その判断には納得せざるを得ない。
一通り敷地内を見た後、バス時刻も迫って来たので、小走りに旧奔別炭鉱を後にした。

ドラマを感じさせるスポット

旧奔別炭鉱は、廃坑となった経緯も含め、ドラマを感じさせるスポットである。各々の建物は、鉄とコンクリートの質感がたまらない、迫力に満ちた存在感を放つ。三笠市立博物館と同時に立ち寄る事が出来るアクセスの良さも魅力である。

ただ、ここは厳密には観光地ではなく私有地で、普段は外から見るものである。
例えば、2022年の夏の場合、ゲート開放は合計5日間だけである。当時はゴールデンウイークでゲート開放していたが、今後もそうである保証はない。
NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団が管理を行っており、フェイスブックからゲート開放予定をチェック出来る。
これから見に行こうと考えている方は、事前確認をお忘れなく。

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