越川橋梁は斜里駅と根室標津駅を結ぶ、国鉄根北線内の鉄道橋として建設されましたが、太平洋戦争の激化で物資が不足してしまい工事が中断してしまいます。
戦後になって再開されたのですが部分開通しただけで、結局この橋梁は使われることはありませんでした。その後、根北線も赤字路線で廃線になり、ひっそりとその姿を残すだけとなってしまいました。
しかし、北海道では最大のコンクリート橋である事から、歴史的な価値があり登録有形文化財に登録されて保存されています。
目次
この橋の悲しい歴史
この橋を建設するのに、タコ部屋労働者を使ったという話がまことしやかに言われているのです。
過酷な労働環境で多数の人々が命を落とし、遺体は供養もせずその場に捨てられ、なかには人柱として橋脚の中に埋められたという話もあるのです。
公的には11人が犠牲になったというのですが、身元がわからない人もいたでしょうから実際はもっと多かったのではないかと思います。
その人たちは今でも成仏できず、うめき声が聞こえたり、カメラに多数の人のようなナニカが写ったりなどの心霊現象が起きると言われているのです。
この話を考えてみる
タコ部屋労働者を使ったというのは時事だとおもうのですが、建設が開始されたのが1939年(昭14年)であり、囚人などの犯罪者ではなく、何かしらの事情を持った人や騙されてなどの運が悪い労働者だったと推測します。
遺体を投棄したのは開拓時代にもあったことなので否定できませんが、人柱については鉄筋を使わない無筋コンクリート製の橋脚でありますので、不純物を入れると強度が落ちるでしょうからあり得ないでしょう。
私自身オカルトに肯定的ではありませんが、歴史の事実から心霊現象がおこる事もあるのでは?と考えてしまう場所ではあります。
※画像はイメージです。
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